サザンオールスターズがアルバム『海のYeah!!』を出したのは1998年のこと。この『海のYeah!!』はサザンのベスト・セレクションであり、サザンの特徴である海と夏にまつわる明るく、楽しく、ちょっと切ない曲の数々が歌い込まれている。それから10年──そのサザンが活動休止を宣言した2008年の夏、その本『深海のYrr』(ハヤカワ文庫)が書店に並んだ。
『深海のYrr』とは、海にひそむ謎の生命体による挑戦を受けて世界が未曾有の危機に直面する、という話である。もちろん、人類が他の生命体からの攻撃を受け、それを一致団結して乗り越えていく、といった話は、あのタコ型火星人のイラストで有名なH・G・ウェルズの『宇宙戦争』を始めとして、もう何度も書かれてきた手垢のついた題材であり、「今更そんなしょうもない話を」と思われる向きもあろうが、はっきり言おう。この『深海のYrr』、いろいろな意味でとても面白い。
冒頭に述べたことは、私が初めて書店でこの『深海のYrr』を見たときに思ったことだが、実は原書(ドイツ語)が出たのは2004年で、タイトルは"Der Schwarum"(注)。それが『海のYhaa!』が出た10年後の2008年に日本語版として出たのも、日本語版のタイトルが『海のYeah!!』と似た『深海のYrr』だったことも、この年にサザンが活動休止を宣言したことも、多分偶然に過ぎない。しかし、ユングはそうした“意味のある偶然の一致”を「共時性(シンクロニシティ)」と呼んだのではなかったか。『海のYeah!!』から『深海のYrr』への10年は、環境破壊が確実に進行し、サザンの歌い上げた明るく楽しい海が、暗く得体の知れない海へと変わっていった10年であったことを、まるで象徴しているかのようにも見える。
(注)このSchwarumはかなりマイナーな単語らしく、ネットの独話辞書で調べても出てこない。ドイツ語のWikipediaでは、"einen Verband von fliegenden oder schwimmenden Lebewesen"、つまり「飛んだり泳いだりする生き物の群れ」とある。その意味するところは、本を読むとわかる。
これまで、こうした作品は主に英米の作家によって書かれてきた(あるいは、ほとんど英米の作家が書いたものしか目にする機会がなかった)が、この『深海のYrr』を書いたのはドイツ人のフランク・シェッツング(Frank Schatzing)であり、だからこの本は非常にドイツ的な感性と視点で書かれている。
例えば、人類を攻撃してきていると考えられるイールと名づけられた“それ”は、知性を持っているのか、持っているとしたら、それはどうやって確認できるのか、について登場人物たちが議論を戦わせる下りがある。
「エイリアンとの真のコミュニケーションを考えるなら、手始めに、アリが形成する社会を考えてみましょう。まず、アリの社会は高度に組織化されているが、実際にアリの知能は高くない。けれど、アリを知性体だと判断します。(中略)彼らは病気や怪我をした仲間を平気で食いつくす。彼らは自由という概念を理解せずに戦争をする。彼らにとって個人の繁栄を考える余地はなく、排泄物を食べることにも悪いイメージはない。つまり、人間とは完全に違う方法で機能する生物です。しかし、機能しているのです。さらに仮定を進めて、わたしたちが未知知性体を全く認識しできないとしましょう。レオン(登場人物の一人)はイルカの知能が高いかどうかを知りたくてテストをする。それで知性体だと判断しますか? 逆はどうでしょう。ほかの生物は人間をどう思っているのか。イールは人間と戦っているが、人間を知性体だと思っているのでしょうか? もうわかったと思いますが、人間の価値観が宇宙の中心だと思う限り、イールには決して近づけない。(後略)」
(中略)
「ドクター・クロウ、そもそも知性とは何だい?」
ヴァンダービルトが資料をめくりながら尋ねた。トリッキーな質問だ。
「運がいいこと」
クロウは答えた。
「運がいい?」
「知性とは、多くのファクターがうまく結合して生まれる結果です。いくつの定義を知りたいですか? 知性はある文化の中で本質として評価されるものだと考える人もいる。それには問題があります。文化やメンタリティの数だけ定義があることになるから。思考プロセスを研究する人もいれば、知能を数字で測ろうとする人もいる。そこで、知性は先天的なものか後天的なものかという疑問も生まれる。二十世紀の初めには、知性は特有の状況を克服する方法の中にあると主張されました。現在、その考えがまた脚光を浴び、知性は環境の変化に適応する能力だと定義する人もいる。すると、先天的というより後天的なものになる。しかし、知性とは人間の概念に深く根を下ろした先天的な能力だと考える人もいる。常に新しくなる状況に合わせる手伝いをする能力だと考えると、知性は経験から学ぶ環境適応能力になる。もう一つ素敵な定義もあるわ。知性とは、知性とは何かを尋ねる能力」
ヴァンダービルトはゆっくりとうなづいた。
「つまり、アンタは何もわかっていないということだな」
クロウはにやりと笑った。
「では、あなたのTシャツを例に挙げましょう。外見からは、知性があるかどうか判断できないということです」
(中略)
「それで彼ら(イール)に何を伝えるのだ?」
ピーク(登場人物の一人)の質問に今度はクロウが答えた。
「物理の法則は数学の中にあります。宇宙の秩序は意識の進化を可能にし、人類の起源を簡潔な方法で説明するために数学を新たに創造しました。知性体が同じ物理条件下に存在するかぎり、数学は理解し合える唯一の言葉です。わたしたちはその言葉を利用します」
「どのようにして? 計算でもさせるのか?」
「いいえ。人間の思考を数学で表現するのです。(中略)メッセージは何段階かに分けて送ります。最初のメッセージは簡単なもので、計算問題が二つ。海の中にいる誰かにスポーツマンシップがあれば、返事をくれるでしょう。最初のコミュニケーションは、イールの存在を証明し、そもそも会話が可能かどうかを判断するのが目的です」
これだけでも議論のほんの一部を取り出したに過ぎないのだが、ここで一つ注目したいのは、“人間が考える基準”において、「知性があることを認識できるのは数学的な能力があること」だということ。クロウがイールに出したのは数列の問題だったが、さて、あなたは“人間が考える基準”において「知性を持った存在」だろうか
まあ仮にそうでなくても、当面は問題ない。なぜなら、あなたが“人間に似た”姿形をしている限り、まわりはあなたが「知性を持った存在」だと勝手に思ってくれるからだ(本当は「外見からは、知性があるかどうか判断できない」のだが)。
話がそれたが、多分英米の作品ならあり得ないようなディテールに徹底的にこだわるところがとてもドイツ的だ。それともう一つ、この作品が訴える重要な事柄がある。もし仮に(宇宙からであれ深海からであれ)このような知性体から挑戦を受けた時、我々は,二つの敵と同時に戦わなければならなくなる、ということだ。一つはもちろん、その知性体。そしてもう一つは、アメリカという敵と。この『深海のYrr』は、そのことを如実に描いて見せたことによって、英米の同種の作品と違う地点に立つことができたように、私には思われる。
「本気で訊いているの? あなたの明晰な頭脳をよく働かせなさい。アメリカ合衆国のない世界が成り立つと思うの? わたしたちは唯一の確固たる存在。国内的にも国際的にも成功を維持できる規範はただ一つ。いかなる社会の一人ひとりにも無条件で通用する真の規範。それがアメリカ。
世界がイール問題を解決してはだめなの。国連が解決するもの許さない。イールは人類に多大な損害を与えたけれど、知識や認識における膨大な潜在能力を備えている。それが誰の手に渡ればいいかしら?」
(中略)
「配役は決定済みだと、未来永劫言いたいのだろう?」
「何が悪いの? 世界は、アメリカに汚れ役を演じることを望んでいる。わたしたちは今その仕事をしている! それがまさに正しいのよ。イールの持つ知識を世界で分け合うことは許さない! だから、わたしたちがイールを殲滅して、彼らの知識を封じ込めなければならない。そうしたら、私たちが世界の運命を握ることになる。わたしたちに従わない独裁国家も独裁者も存在の必要がなくなる。アメリカの優位は揺るがない」
『深海のYrr』とは、海にひそむ謎の生命体による挑戦を受けて世界が未曾有の危機に直面する、という話である。もちろん、人類が他の生命体からの攻撃を受け、それを一致団結して乗り越えていく、といった話は、あのタコ型火星人のイラストで有名なH・G・ウェルズの『宇宙戦争』を始めとして、もう何度も書かれてきた手垢のついた題材であり、「今更そんなしょうもない話を」と思われる向きもあろうが、はっきり言おう。この『深海のYrr』、いろいろな意味でとても面白い。
冒頭に述べたことは、私が初めて書店でこの『深海のYrr』を見たときに思ったことだが、実は原書(ドイツ語)が出たのは2004年で、タイトルは"Der Schwarum"(注)。それが『海のYhaa!』が出た10年後の2008年に日本語版として出たのも、日本語版のタイトルが『海のYeah!!』と似た『深海のYrr』だったことも、この年にサザンが活動休止を宣言したことも、多分偶然に過ぎない。しかし、ユングはそうした“意味のある偶然の一致”を「共時性(シンクロニシティ)」と呼んだのではなかったか。『海のYeah!!』から『深海のYrr』への10年は、環境破壊が確実に進行し、サザンの歌い上げた明るく楽しい海が、暗く得体の知れない海へと変わっていった10年であったことを、まるで象徴しているかのようにも見える。
(注)このSchwarumはかなりマイナーな単語らしく、ネットの独話辞書で調べても出てこない。ドイツ語のWikipediaでは、"einen Verband von fliegenden oder schwimmenden Lebewesen"、つまり「飛んだり泳いだりする生き物の群れ」とある。その意味するところは、本を読むとわかる。
これまで、こうした作品は主に英米の作家によって書かれてきた(あるいは、ほとんど英米の作家が書いたものしか目にする機会がなかった)が、この『深海のYrr』を書いたのはドイツ人のフランク・シェッツング(Frank Schatzing)であり、だからこの本は非常にドイツ的な感性と視点で書かれている。
例えば、人類を攻撃してきていると考えられるイールと名づけられた“それ”は、知性を持っているのか、持っているとしたら、それはどうやって確認できるのか、について登場人物たちが議論を戦わせる下りがある。
「エイリアンとの真のコミュニケーションを考えるなら、手始めに、アリが形成する社会を考えてみましょう。まず、アリの社会は高度に組織化されているが、実際にアリの知能は高くない。けれど、アリを知性体だと判断します。(中略)彼らは病気や怪我をした仲間を平気で食いつくす。彼らは自由という概念を理解せずに戦争をする。彼らにとって個人の繁栄を考える余地はなく、排泄物を食べることにも悪いイメージはない。つまり、人間とは完全に違う方法で機能する生物です。しかし、機能しているのです。さらに仮定を進めて、わたしたちが未知知性体を全く認識しできないとしましょう。レオン(登場人物の一人)はイルカの知能が高いかどうかを知りたくてテストをする。それで知性体だと判断しますか? 逆はどうでしょう。ほかの生物は人間をどう思っているのか。イールは人間と戦っているが、人間を知性体だと思っているのでしょうか? もうわかったと思いますが、人間の価値観が宇宙の中心だと思う限り、イールには決して近づけない。(後略)」
(中略)
「ドクター・クロウ、そもそも知性とは何だい?」
ヴァンダービルトが資料をめくりながら尋ねた。トリッキーな質問だ。
「運がいいこと」
クロウは答えた。
「運がいい?」
「知性とは、多くのファクターがうまく結合して生まれる結果です。いくつの定義を知りたいですか? 知性はある文化の中で本質として評価されるものだと考える人もいる。それには問題があります。文化やメンタリティの数だけ定義があることになるから。思考プロセスを研究する人もいれば、知能を数字で測ろうとする人もいる。そこで、知性は先天的なものか後天的なものかという疑問も生まれる。二十世紀の初めには、知性は特有の状況を克服する方法の中にあると主張されました。現在、その考えがまた脚光を浴び、知性は環境の変化に適応する能力だと定義する人もいる。すると、先天的というより後天的なものになる。しかし、知性とは人間の概念に深く根を下ろした先天的な能力だと考える人もいる。常に新しくなる状況に合わせる手伝いをする能力だと考えると、知性は経験から学ぶ環境適応能力になる。もう一つ素敵な定義もあるわ。知性とは、知性とは何かを尋ねる能力」
ヴァンダービルトはゆっくりとうなづいた。
「つまり、アンタは何もわかっていないということだな」
クロウはにやりと笑った。
「では、あなたのTシャツを例に挙げましょう。外見からは、知性があるかどうか判断できないということです」
(中略)
「それで彼ら(イール)に何を伝えるのだ?」
ピーク(登場人物の一人)の質問に今度はクロウが答えた。
「物理の法則は数学の中にあります。宇宙の秩序は意識の進化を可能にし、人類の起源を簡潔な方法で説明するために数学を新たに創造しました。知性体が同じ物理条件下に存在するかぎり、数学は理解し合える唯一の言葉です。わたしたちはその言葉を利用します」
「どのようにして? 計算でもさせるのか?」
「いいえ。人間の思考を数学で表現するのです。(中略)メッセージは何段階かに分けて送ります。最初のメッセージは簡単なもので、計算問題が二つ。海の中にいる誰かにスポーツマンシップがあれば、返事をくれるでしょう。最初のコミュニケーションは、イールの存在を証明し、そもそも会話が可能かどうかを判断するのが目的です」
これだけでも議論のほんの一部を取り出したに過ぎないのだが、ここで一つ注目したいのは、“人間が考える基準”において、「知性があることを認識できるのは数学的な能力があること」だということ。クロウがイールに出したのは数列の問題だったが、さて、あなたは“人間が考える基準”において「知性を持った存在」だろうか
まあ仮にそうでなくても、当面は問題ない。なぜなら、あなたが“人間に似た”姿形をしている限り、まわりはあなたが「知性を持った存在」だと勝手に思ってくれるからだ(本当は「外見からは、知性があるかどうか判断できない」のだが)。
話がそれたが、多分英米の作品ならあり得ないようなディテールに徹底的にこだわるところがとてもドイツ的だ。それともう一つ、この作品が訴える重要な事柄がある。もし仮に(宇宙からであれ深海からであれ)このような知性体から挑戦を受けた時、我々は,二つの敵と同時に戦わなければならなくなる、ということだ。一つはもちろん、その知性体。そしてもう一つは、アメリカという敵と。この『深海のYrr』は、そのことを如実に描いて見せたことによって、英米の同種の作品と違う地点に立つことができたように、私には思われる。
「本気で訊いているの? あなたの明晰な頭脳をよく働かせなさい。アメリカ合衆国のない世界が成り立つと思うの? わたしたちは唯一の確固たる存在。国内的にも国際的にも成功を維持できる規範はただ一つ。いかなる社会の一人ひとりにも無条件で通用する真の規範。それがアメリカ。
世界がイール問題を解決してはだめなの。国連が解決するもの許さない。イールは人類に多大な損害を与えたけれど、知識や認識における膨大な潜在能力を備えている。それが誰の手に渡ればいいかしら?」
(中略)
「配役は決定済みだと、未来永劫言いたいのだろう?」
「何が悪いの? 世界は、アメリカに汚れ役を演じることを望んでいる。わたしたちは今その仕事をしている! それがまさに正しいのよ。イールの持つ知識を世界で分け合うことは許さない! だから、わたしたちがイールを殲滅して、彼らの知識を封じ込めなければならない。そうしたら、私たちが世界の運命を握ることになる。わたしたちに従わない独裁国家も独裁者も存在の必要がなくなる。アメリカの優位は揺るがない」
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