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アニメ『マギアレコード』あるいは失敗の物語

2022-05-16 13:33:18 | 趣味人的レビュー
僕たちは失敗した。取り戻せるものなど、もうどれほども残っていない。それでも僕だけは憶えてる。

アニメ『マギアレコード』ファイナルシーズン「浅き夢の暁」全4話の第1話は、こういうセリフで終わる。

以前、「アニメ『マギアレコード』あるいは混乱の物語」という記事で、私は

う~ん、何がしたいのかサッパリわからん…(-_-;;

と書いた。だが、それが「浅き夢の暁」によって完全に明らかになった。そうか、『マギアレコード』がやろうとしていたのは、こういうことだったのか Σ(Д゚;/)/…!? 『マギレコ』は『まどマギ』からの派生作品だが、ソシャゲ原作だったから『まどマギ』のような凄みが全く感じられないダルい作品だな、くらいに思っていた。けれど、それが目指していたところが明らかになったことで、実は『まどマギ』に勝るとも劣らない凄みを持った作品であったことが分かった。

この記事では、そのアニメ『マギレコ』という物語の凄みについて述べたい。なお、『マギレコ』2期以降の内容についてネタバレはしないが、『マギレコ』1期の内容について触れている部分があるので、未見の方はご注意。

まず、アニメ『マギレコ』の全体構成について一応触れておくと、本来は1期12話、2期12話の全24話という形になるはずだったと思われる。が、制作が予定より大幅に遅れ、2期は最初の3回は1期の総集編になった(1期の4話ずつをまとめたものを3回にわたって放送した)上に、更に1回、2期放送分の総集編も入り、予定していた12話のうちの8話までしか放送できなかった。しかも残り4話も2021年末の放送を予定していたものの果たせず、結局放送されたのは2022年4月(しかも4話一度に)だった(私はそれを見逃してしまって、やっとアマプラで見られた、という次第)。

『マギレコ』では1期の第1話からさまざまな謎が提示されるが、2期の第8話まで、その謎の答えはほとんど明かされない(唯一判明するのは、『マギレコ』と『まどマギ』の物語同士の関係くらい)。神浜(かみはま)市で囁かれるいくつもの噂の出所は? 小さいキュウべえの正体は? マギウスはどうやって生まれた? ドッペルとは何? 魔法少女が魔女にならない仕組みとは?──そういった数多くの謎が放りっぱなしのまま、ファイナルシーズンは幕を開ける。だが、第1話でそれらの謎に対する全ての答えが示されると同時に、『マギレコ』という物語の真の意図が明らかになるのだ。

一般にミステリにおいて物語の成否を決めるのは、謎の答えが明らかになった時である──と書くと、「それは全ての謎が解決されたかどうか、ということだろ?」と思う人もいるかもしれないが、全ての謎が解決されるのは基本中の基本であって、それすらできていないようなミステリは、そもそも評価の対象にすらならない。問題は「謎の答えが明らかになった後も、その物語がなお魅力的であり続けられるかどうか」である。その点『マギレコ』は、ほとんど全ての謎が解けて「失敗の物語」という本質が明らかになったところから本領を発揮する。その先に待つのは『まどマギ』を上回る圧倒的な絶望と救いのなさだ。

だからメンタルの弱い人、メンタルが弱っている人は、「淡き夢の暁」を見ることはオススメしない。マジで死にたくなってしまうかもしれないからね(ただ人によっては「陰極まれば陽に転ず」で、その圧倒的な絶望と救いのなさが相転移を引き起こし、逆にメッチャ元気になってしまうかもしれないが)。そのくらい内容はダーク(アニオタ的な言い方をすれば、鬱展開)だってこと。

私は上で『マギレコ』が「失敗の物語」で、そこから絶望と救いのなさが描かれると書いたが、その絶望と救いのなさは彼女たちが自らの失敗を認めなかったからではない。彼女たちは失敗を自覚し、それを取り戻そうとしたのだ。この物語が語る“不都合な真実”の1つは「失敗はなからずしも学びにはならない」ということである。

そして、この作品には絶望と救いのなさを生み出すもう1つの側面がある。これが「弱者の物語」であるという側面が。言うなれば『マギレコ』とは「弱者を救済しようとした物語」なのだ。それは1期の第1話から明示的に描かれていたことだが、その帰結が明らかになるのが「浅き夢の暁」である。『マギレコ』に限らずヒーロー/ヒロインものとは基本的に「弱者救済」の物語だが、救済される側の弱さの実相が描かれることはほとんどなかった。その部分を『マギレコ』は描こうとしたのだ。

よくスピ系などで「弱くてもいいよ。弱いままでいいんだよ」ということが言われるが、『マギレコ』はそれとは真逆の“不都合な真実”を語る。だから「弱くてもいいよ。弱いままでいいんだよ」などという甘い言葉に安らぎと救いを見ていた人には、この作品は劇薬となるだろう。

この「弱者の物語」という視点は、笠希々さんの動画「『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON ?浅き夢の暁-』アニメレビュー」の中でより詳しく述べられているので、興味のある人はそちらを(ネタバレありなので、ご注意)。ただ、彼女の第4話(最終話)についての批評には私は全く同意できない。

過去記事「アニメ『マギアレコード』あるいは混乱の物語」で述べたように、『マギレコ』はとても構成が悪く、クライマックスまで何がやりたいのか分からない作品になってしまっているから、途中切りしてしまった人も相当数いるだろう。だからこそ、この「浅き夢の暁」の衝撃展開は、ここまで脱落せず物語を追ってきた人たちへの、ある種のご褒美だったのではないかと私は思う。さて、これから「浅き夢の暁」に入る人は、ゼヒ「失敗」そして「弱者」という部分に注目して見てほしい。この物語の絶望と救いのなさ、そしてその帰結を、より深く味わうことができると思うから。


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