『AERA』インターネット版に出ている草刈正雄の記事がとてもよかったので、ここでそれを紹介したい。内容は草刈正雄の書いた『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新書)の抜粋、再構成で、元々は本のPRのためのものなのだろうけど、読んでいて胸に響くものがあった(なお、私は『人生に必要な知恵は~』はまだ読んでいない)。
ネタとなった『AERA』の元記事は↓
https://dot.asahi.com/dot/2020080600029.html?page=1&fbclid=IwAR2G8z13HAwA0FFJK46rksxZRx3aILtg9ki6aANTMFkUE7uBqHDEUuInahI
草刈正雄といえば、私は出世作となった『汚れた英雄』を映画館で見たし、真田幸村を演じたNHKドラマ『真田太平記』も大好きだった。最近では大河ドラマ『真田丸』の真田昌幸、朝ドラ『なつぞら』の北海道開拓民一世の頑固な祖父などが話題になっていて、これまで比較的順風満帆に俳優人生を送ってきたのかと思っていたが、どうもそうではなかったようだ。『AERA』の元記事にも
36歳で結婚しましたが、ちょうどその頃、映画やテレビの仕事はポツポツとしたものでした。重要なシーンになればなるほど、カメラはスーッと僕の横を通り過ぎて主演俳優に近づいていく。以前は自分にズームアップしていたカメラでした。どんな役でもありがたいのでそんなことを言ってはバチが当たるとわかってはいるのですが、正直、寂しかった。
とある。
そして彼は、そんな状態でも役者を続けてきたのは
「自分には、芝居しかない」
という思いだけだったと言い、こう続ける。
だから、どんなにうまくいかなくても、しがみつくしかなかった。すべてに負けていたとしても、諦めるかどうかの選択だけはまだ自分の掌に残されていました。なんだ、まだピッチャーマウンドに立ってるじゃないか! どうする? もちろん答えは決まっています。日が落ちても、ゲーム続行です。
この言葉には草刈正雄自身が傷を負い、血を流しながら到達した生々しい実感が込められている。中でも
すべてに負けていたとしても、諦めるかどうかの選択だけはまだ自分の掌に残されていました。
という言葉が自分の中に強烈に響いた。これは、どんな状態にあっても人は自分の生をハンドリングすることができる、ということだ。しかしそれは同時に、どんな状態にあっても人は自分の生をハンドリングしなければならない、ということも意味している。
『鬼滅の刃』の第1話に出てくる
生殺与奪の権を他人に握らせるな!
という言葉と合わせると、改めて「自分の生を生きる」ということの意味と重みを考えずにはいられない。
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