今回のBGMはアニメ『おおかみかくし』のOPでもあった、FictionJunctionの『時の向こう 幻の空』を選んでみた。
クラニオセイクラル・ワークとは、そもそも何をするものなのだろうか?
クラニオにもいろいろな考え方や流派があるし、だからクラニオの総体として完全に一致した見解というかコンセプトがあるわけではない。例えばバイオダイナミックなクラニオ(BCST)と、(バイオダイナミック派からはバイオメカニックなクラニオと呼ばれる)クラニオセイクラル・セラピー(CST)では、その作用機序そのものからして考え方が大きく異なるので、本当は同じものとして考えてはいけないのかもしれない。
なので、ここから先はクラニオとはバイオダイナミックなクラニオのことに限定して考えることにする。
で、改めてクラニオでやっていることは?──ということだが、バイオダイナミクス的に言うなら、クラニオでは何もやっていない。いや、正しくは「何もしない、ということをしている(doing not-doing)」。この「何もしない、ということをする」というのは、クラニオセイクラル・ワーク(クラニアル・ワーク)の先駆者とされるウィリアム・ガーナー・サザーランドが晩年になって初めて明かしたものだという。
しかし、その言葉の解釈を巡っては、「あのサザーランドが『何もしない』と言っているのだから、本当に一切、何もしてはならん」という、チャールズ・リドリーらの原理主義(?)的な立場から、「サザーランドの言う『何もしない』というのは、物理的な操作を行わない、という意味だ。心の中で問いかけたりするのはいいんだよ」という、フランクリン・シルズらの穏健的な立場までいろいろあるが、サザーランドが死んでしまった今、彼の真意が一体どこにあったのかは、もうわからない。
ただ1つわかるのは、クラニオにおいて物理的な操作は全く必要ない(あるいは、してはいけない)ということだ。
フランクリン・シルズはその著書『クラニオセイクラル・バイオダイナミクス』の中で、クラニオのセッションでは相手の体との接触を離してはならない、と書いているが、私はそうは思わない。重要なのは施術者の意識が相手に向いていることであって、物理的に接触していることではない、というのが私の考え。
そしてそう考えれば、クラニオを自分自身に行う、つまりクラニオでセルフ・ヒーリングすることもできる、ということになる。というか、私は実際にクラニオをずっとそういうふうにも使ってきたのだ。
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激励のコメをいただき、ありがとうございます。
また告知しますが、ゴールデン・ウィークなどにも連続セミナーを企画していますので、予定が合えばご参加下さい。
私も今年のどこかでまた先生のご指導賜りに伺いたいとオモイマス。
福岡よりご成功お祈りいたしております♪