深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

思考都市からの呼び声

2014-12-25 21:59:44 | 心身宇宙論

今年、2014年は、これまでに52冊(その中には上下巻に分かれているものもあるので、改めてそれを1冊とカウントするなら48冊)の本を読んできた(ちなみに、この数は読了した本の冊数であり、途中で投げ出した本やまだ最後まで読み終わっていない本は含まない)。

「その人の頭の中を知りたければ、その人の本棚を見ればいい」といった言葉もあるように、この1年に読んだ本のラインナップを見ると、自分が無意識に何を目指していたのかが、おぼろげながら浮かび上がってくる。

ここ2、3年くらい、解剖学、生理学、生化学、栄養学などの基礎医学に基づいて、心身に現れる問題を○○回路、○○反応、○○カスケードといった体の中で起こる微細な化学反応の異常に還元していくような身体観に強い違和感を覚えるようになった。

西洋医学は、よりミクロのレベルへと斬りこむことで大きな発展を遂げてきた。しかし、どれだけミクロなレベルまで捉えても、そこに原因を求めることのできない多くの病気の前に、行き詰まりを起こしている。

『つくられる病:過剰医療社会と「正常病」』の中で、著者の井上芳保は精神科医の伊藤順一郎が語ったこんな言葉を引用している。

むしろね、医学というものは、逆に苦悩や苦痛を病気というものに変換して、その病気の解決をどうするかっている方向で考えてきたと思うんです。例えば咳が苦しい、胸が苦しいとかいうときに、そういう体に生じている苦痛を、原因や生理的な現象からなんらかの類型にあてはめ、疾病として扱って、そしてそれに薬物療法や、手術をおこなうことによって、苦悩というか苦痛を取り除いていくわけですよ。でね、大学にいると、精神医学も一般医学と同じモデルでやっていかなきゃならないみたいな感じになってしまう。そうするとね、人の苦悩を、脳の血液量や糖代謝の問題じゃないかとか、遺伝子レベルで何かが起きているんじゃないかとか、そういう仮説に置き換えていくわけ。

そして、プロセス指向心理学の創始者、アーノルド・ミンデルがそれまでの西洋的な身体観とは異なる、ドリームボディ(あるいはドリーミングボディ)というコンセプトを示したように、何か新しい身体観が必要なのではないか、と思った。社会のためだとか、業界のためでなく、何より私自身のために。

その1つが、先に『ものがたり』という記事の中で述べたような、心身を「重層化された物語(=意味)の体系」として捉える視点だった。

そして最近、安田登の『日本人の身体』や坂口恭平の『現実脱出論』を経て、もう1つの身体観が自分の中に生まれ始めている。それは心身を明確に定義したり言い表すことのできない「漠然として曖昧なもの」として捉える視点である。

これは対象をどこまでも明確にし、曖昧さを徹底排除する、西洋的合理主義に基づいた科学的な立場からの身体観の対極に位置する。けれども、そもそもヒトとは、そのあらゆる部分を機能的に分解し、物理的、化学的プロセスに還元できるものではないはずだ。ならば西洋的合理主義によって見渡せる部分は、最初から全体のごく一部でしかなかったはず。

その一部とは、例えて言えば実数直線の中の有理数の部分くらいだろうか(ちなみに、実数直線──これは無限大の長さを持つのだが──から有理数の部分だけを集めると、その長さは0になる)。

そして、そのような身体観を持つということは、坂口恭平的に言えば「現実からの脱出」ということでもあるのかもしれない(なお、坂口恭平が言うように「現実からの脱出」は「現実からの逃避」とは全く違うものだ)。それはつまり「現実に存在する対象」にアプローチするために「現実から脱出する」ということである。

そのような、心身を「漠然として曖昧なもの」「不確かなもの」として捉えるところから治療を考えると、これまでとは全く違うものが見えてくる。そのための強力なツールの1つとなり得るのがバイオダイナミックなクラニオセイクラル・ワークであり、それを実際に試みたのが、12月に行ったセルフヒーリングのセミナーだった。

ところで「現実から脱出する」ために必要なのは、「思考し創造すること」だと坂口恭平は言う。そしてそのために彼が提示するのが「思考都市」という概念だ。「思考都市」とは「人間が現実の公共空間とは別に、思考をそのまま単純化せずに知覚し、それらと手をつなぐように形成した空間」という意味らしいが、この言葉は私に唐十郎(から じゅうろう)の舞台『少女都市からの呼び声』を思い起こさせる。

そう、「現実からの脱出」によって心身を「漠然として曖昧なもの」として捉えるとは、すなわち「思考都市からの呼び声」を聞くということなのである。


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