「カバラと『生命の木』」の第36回。第10セフィラ、マルクトについての続き。
マルクトは「王国」と呼ばれる。ここでいう「王」とは、「至高の三角形」を除く6つの中央部のセフィロトからなる「小さな顔」を表す。マルクト、つまり物質の天球は、これら6つのセフィロトから顕現する天球である。そして、それら6つのセフィロトは「至高の三角形」から流出したものだ。
中央の柱=均衡の柱の最下部に位置するマルクトは、ケテルから下行し、ダートすなわち「不可視のセフィラ」で変質し、ティファレトを経て形の諸次元へと進む力の直線上に存在している。この直線は意識の小径であり、脇の2つの柱は機能の小径と見ることができる。しかし、その2つの脇の柱も第29番と第31番のパスを経てマルクトへと集結する。
それらは、全てがケテルから始まりマルクトで終わることを表している。
マルクトの魔法イメージは「ヴェールで覆われた若い女性」である。この若い女性とはイシスを表し、それがヴェールで覆われているとは、霊的諸力が外的な形の中に隠されていることを示す。
マルクトに割り当てられた称号には「門」と「配偶者」があるが、この2つは本質的に同じものだ。母の子宮は生命の門なのだから。と同時に、それはまた「死の門」でもある。次元上昇とは、元の次元の自己にとっては「死」を意味するからだ。だがマルクトは、力の諸次元と形の諸次元との間を取り持つ両極性の機能を有する、豊饒の天球でもある(実際、マルクトの神名の1つ「アドーナイ・ハ・アレッツ」は「大地の主」という意味である)。
受肉している我々はマルクトの上に立っている。そして密儀の道を進み始めると、我々の道はイエソドへと向かう第32番のパスに通じる。中央の柱を真っ直ぐ上昇するこのパスは「矢の小径」と呼ばれ、オカルティストはこのパスを通って次元上昇へと向かう。
マルクトの霊的体験は「聖なる守護天使の霊視」と呼ばれるが、それは霊的進化を遂げるために「聖なる守護天使」によって用意された、魂の核たる「高次の自我」に気づき、そこに「低次の自我」を統合することである。これが「神人合一」であり、この体験がなれば肉の牢獄へと戻ろうとするあらゆる衝動から解放され、安息を得ることができるという。
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