深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

キチガイを探せ

2018-11-21 15:09:57 | 趣味人的レビュー

※このレビューは現代では差別的と受け取られる可能性のある表現も使っているが、作品が書かれたのは1960年代で作者も故人となっていること、また作品のオリジナリティを尊重する立場から、そうした表現を用いることをご了解いただきたい。(゚0゚)(。_。)ペコッ

これは寺山修司作の舞台『狂人教育』のレビューである。劇場(こや)は下北沢のザ・スズナリ、演じたのは演劇実験室◎万有引力であった(余談だが下北沢駅は改修工事中で、出口も以前とは変わってしまっていて、ザ・スズナリに辿り着くまでずいぶん迷った)。

さて『狂人教育』という作品だが、万有引力のメルマガによれば──

この作品は1962年、人形劇のための作品として、人形劇団ひとみ座によって上演された。
その解説で寺山修司は言っている。
「人形は人間の代用品かどうか?という素朴な疑問にぶつかった。しかし、人形を使っても、俳優を出演させても、かれらの自発性から成る台詞などを禁じている点ではきわめてよく似ている。つまり、寓話でものを語る限り、そう大した違いがないのかもしれない。」


そしてチラシには、『狂人教育』が書かれたのは寺山が演劇実験室◎天井桟敷を旗揚げ前で、メタシアターの手法を用いて書かれたこの作品が後の天井桟敷の方向性を示すものとなった、という趣旨のことが書かれている。けれども『狂人教育』自体は様々な劇団で繰り返し上演されているが、天井桟敷でも万有引力でもこれまで一度も上演されず、万有引力創立35周年記念公演となる今回が本家本元?による初演ということになる。

『狂人教育』には6人(6体)の人形と13人の人形使いが登場する。元々が人形劇団のために書かれた作品だから、本来なら人形と人間が共演する形の舞台になるのだろうが、今回は人形を演じる人間と人形使いによる舞台であり、それゆえ寺山の意図とは異なるかもしれないが、逆に寺山の提起したテーマがより強く浮かび上がるものになったように思われる。

6人(6体)の人形からなる家族の中に一人だけキチガイがいるという。それは誰だ? いや、そもそも人形がキチガイとはとういうことだ? それは人形使いがキチガイということではないのか? だが問われるのは、人形たち家族の中の誰がキチガイか、であり、なぜか誰も人形使いについては問わない。これが純粋な人形劇ならそのことに何に不思議もないが、ここでは人形と同じく、あるいは人形以上の存在感を持って、人形使いが舞台の上にいるのに。けれどそんなことはお構いなしに、仲良しだった人形の家族の間で誰がキチガイかを巡って疑心暗鬼が広がっていく…。

この物語からは様々な深読みができる。
例えば、「家族の中に一人だけキチガイがいる」というのは本当なのか? 「○○氏がそう言っている」という理由だけでその言葉が事実とされて関係性が崩壊していく、という構図はフェイクニュースに翻弄される今の状況そのものだ。
更にキチガイは誰かを巡っては、論理もへったくれもないムチャクチャな形で「こいつだ」と決着が図られるが、これなども国会審議という名で行われている茶番劇を彷彿とさせる。

また例えば、今回の万有引力版では人形は白い衣装、人形使いは黒い衣装を着けているが、それは別に事前にそう説明があったわけではなく、見ているこちらが勝手にそう判断しているだけだから、(実際にそういうシーンがあったわけではないが)演者が衣装を白から黒、黒から白に変えただけで、人形と人形使い(つまり操られる側と操る側)は簡単に入れ代わってしまう(ように見える)。

とにかく、あれこれ深読みしていくと底なしの状態にはまっていく泥沼のような舞台、それが『狂人教育』だ。政治家や官僚の皆様におかれては、ゼヒこの舞台を見て教育改革に役立ててもらいたいものだと切に願うものである。

最後に、その万有引力による舞台動画があればよかったのだが、それがないので、代わりにといっては何だが演劇集団 池の下による『狂人教育』の動画を貼っておく。こちらは万有引力のそれとは違って、端正でシンプルな演出になっている。


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