新転位・21の新作『向日葵-佐世保小六同級生殺害事件-』を観てきた。
とにかく連日のように異様な事件が報じられているため、一つひとつの事件のことは、どんどん忘れてしまう。この『向日葵』のモチーフとなった佐世保小六同級生殺害事件のことも、思い出すまでには少し時間がかかった。この事件は、2004年6月1日、当時、毎日新聞佐世保支局長だった御手洗恭二(みたらいきょうじ)さんの小学校6年の長女、怜美(さとみ)さんが、同じクラスの女児に学校の学習ルームでカッターナイフによって殺害されたもの。小学6年生が学校で同級生を殺害した、ということで、事件当時はニュースなどで頻繁に取り上げられたのを覚えている。
今回の『向日葵』は、事件を起こした女児(劇中では、ツジ・アヤカという名前)が、カウンセラーとのやり取りの中で事件に至るまでの経緯、そして事件そのものを思い出していく、という構成になっている。学校が舞台ということもあって、登場人物がいつになく多いせいか、転位・21の舞台独特の異様な緊張感はない。小学6年生の起こした事件、ということで、意識的にそのような演出にしているのかもしれないが、非常にまったりとした感じで、観ていてちょっと拍子抜けした。
転位・21の舞台は実際の事件をもとに作られてはいるが、事件を再現することを目指したものではないので、舞台で描かれたことと実際の事件の詳細は、もちろんイコールではないが、山崎哲の脚本は非常に丁寧に、事件の謎の核心を読み解こうとしているように見えた。
アヤカにまつわるキーワードは「消す/消える」だ。
アヤカがミタライ・サトミと仲違いをするキッカケは、アヤカが自分のUSBメモリに保存していたHPのデータをサトミに消された、あるいはサトミに消されたと思ったことだが、カウンセラーは、IDを知らないサトミになぜUSBメモリのデータを消すことができたのか、とアヤカに問い、データを消したのはアヤカ自身だったのではないか、ということが示唆される。しかし、アヤカには自分がメモリからデータを消去した記憶がない──記憶が消えている。
また、アヤカが友だちとファミレスで割り勘で食事した際、アヤカの払った額が他の人より多かった──と言っても、ほんの十数円だが──ことを知った父親が、その友だちの親を呼び出して差額の返還を求める、などの行為も、彼女の立場を失わせ、少しずつ仲間内から消えていくようになっていく。
最後にアヤカはサトミを消してしまうことになるが、彼女が本当に消してしまいたかったのは誰なのだろう。恐らく、彼女が本当に消してしまいたかったのは自分自身だったのだと思う。USBメモリのデータを消していた、というのも、その一環だったと考えられる。
ではなぜ、その彼女が自殺するではなく、他人を殺してしまったのか。以下は私の想像だが──
アヤカは「自分が自分を消したがっている」ことを明確に意識してはいなかった(USBメモリのデータを消した記憶がなかった、ということからも、それがわかる)。それは、あくまで意識下にあるもので、意識してはならないものだった。しかし、サトミはそれを見抜いてしまった、あるいは、アヤカはサトミの言葉によって、自分が意識下に隠していた感情に気づき、サトミに見抜かれてしまったと思った。そしてアヤカは、もう一度、何も知らない自分に戻るためには、「自分自身も気づいていなかった、本当の自分の思い」を知られてしまったサトミを消さなければならない、と考えた。
──この私の解釈がどこまで正しいのかはわからない。ただアヤカの中では、あくまでサトミは「消した」のであって「殺した」のではない、という気がしてならない。
ところで、舞台のクライマックスで語られる「心の在処」についての話は非常に興味深い。これは、アヤカから「心はどこにあるのか」と問われたカウンセラーが、それについて「一つの可能性だけど」として答える。「人間の腸は植物だと茎に当たる。腸を始めとする内臓器官は自分の意思とは無関係に動くことから、植物器官と呼ばれている。そして、心とは、内的、外的な要因でこの植物器官に起こる反応のことを言う、とする考え方がある」と。
カウンセラーが語る「心の在処」についての話は、現在、脳研究者が解明しようとしている「心とは“脳の中に”どのような形で存在しているか」という方向とは真逆にあるが、むしろこちらの方が、私がここ3年くらいの間の臨床を通じて感じているものに近い。心とは“脳のどこか”に、あるいは“脳のどこかにだけ”存在するのではなく、体全体に存在するものだというのが、私が現在得ている結論である。
余談だが、私が観に行った同じ日に唐十郎も、この舞台を観に来ていて、帰りに「ナマ唐十郎」を間近で見ることになった。ナマで見る唐十郎は(当然のことながら)映画『シアトリカル』で描かれた「狂気を孕んだ怪物」ではなく、人なつこそうな笑顔を浮かべた普通のオジサンだった。
とにかく連日のように異様な事件が報じられているため、一つひとつの事件のことは、どんどん忘れてしまう。この『向日葵』のモチーフとなった佐世保小六同級生殺害事件のことも、思い出すまでには少し時間がかかった。この事件は、2004年6月1日、当時、毎日新聞佐世保支局長だった御手洗恭二(みたらいきょうじ)さんの小学校6年の長女、怜美(さとみ)さんが、同じクラスの女児に学校の学習ルームでカッターナイフによって殺害されたもの。小学6年生が学校で同級生を殺害した、ということで、事件当時はニュースなどで頻繁に取り上げられたのを覚えている。
今回の『向日葵』は、事件を起こした女児(劇中では、ツジ・アヤカという名前)が、カウンセラーとのやり取りの中で事件に至るまでの経緯、そして事件そのものを思い出していく、という構成になっている。学校が舞台ということもあって、登場人物がいつになく多いせいか、転位・21の舞台独特の異様な緊張感はない。小学6年生の起こした事件、ということで、意識的にそのような演出にしているのかもしれないが、非常にまったりとした感じで、観ていてちょっと拍子抜けした。
転位・21の舞台は実際の事件をもとに作られてはいるが、事件を再現することを目指したものではないので、舞台で描かれたことと実際の事件の詳細は、もちろんイコールではないが、山崎哲の脚本は非常に丁寧に、事件の謎の核心を読み解こうとしているように見えた。
アヤカにまつわるキーワードは「消す/消える」だ。
アヤカがミタライ・サトミと仲違いをするキッカケは、アヤカが自分のUSBメモリに保存していたHPのデータをサトミに消された、あるいはサトミに消されたと思ったことだが、カウンセラーは、IDを知らないサトミになぜUSBメモリのデータを消すことができたのか、とアヤカに問い、データを消したのはアヤカ自身だったのではないか、ということが示唆される。しかし、アヤカには自分がメモリからデータを消去した記憶がない──記憶が消えている。
また、アヤカが友だちとファミレスで割り勘で食事した際、アヤカの払った額が他の人より多かった──と言っても、ほんの十数円だが──ことを知った父親が、その友だちの親を呼び出して差額の返還を求める、などの行為も、彼女の立場を失わせ、少しずつ仲間内から消えていくようになっていく。
最後にアヤカはサトミを消してしまうことになるが、彼女が本当に消してしまいたかったのは誰なのだろう。恐らく、彼女が本当に消してしまいたかったのは自分自身だったのだと思う。USBメモリのデータを消していた、というのも、その一環だったと考えられる。
ではなぜ、その彼女が自殺するではなく、他人を殺してしまったのか。以下は私の想像だが──
アヤカは「自分が自分を消したがっている」ことを明確に意識してはいなかった(USBメモリのデータを消した記憶がなかった、ということからも、それがわかる)。それは、あくまで意識下にあるもので、意識してはならないものだった。しかし、サトミはそれを見抜いてしまった、あるいは、アヤカはサトミの言葉によって、自分が意識下に隠していた感情に気づき、サトミに見抜かれてしまったと思った。そしてアヤカは、もう一度、何も知らない自分に戻るためには、「自分自身も気づいていなかった、本当の自分の思い」を知られてしまったサトミを消さなければならない、と考えた。
──この私の解釈がどこまで正しいのかはわからない。ただアヤカの中では、あくまでサトミは「消した」のであって「殺した」のではない、という気がしてならない。
ところで、舞台のクライマックスで語られる「心の在処」についての話は非常に興味深い。これは、アヤカから「心はどこにあるのか」と問われたカウンセラーが、それについて「一つの可能性だけど」として答える。「人間の腸は植物だと茎に当たる。腸を始めとする内臓器官は自分の意思とは無関係に動くことから、植物器官と呼ばれている。そして、心とは、内的、外的な要因でこの植物器官に起こる反応のことを言う、とする考え方がある」と。
カウンセラーが語る「心の在処」についての話は、現在、脳研究者が解明しようとしている「心とは“脳の中に”どのような形で存在しているか」という方向とは真逆にあるが、むしろこちらの方が、私がここ3年くらいの間の臨床を通じて感じているものに近い。心とは“脳のどこか”に、あるいは“脳のどこかにだけ”存在するのではなく、体全体に存在するものだというのが、私が現在得ている結論である。
余談だが、私が観に行った同じ日に唐十郎も、この舞台を観に来ていて、帰りに「ナマ唐十郎」を間近で見ることになった。ナマで見る唐十郎は(当然のことながら)映画『シアトリカル』で描かれた「狂気を孕んだ怪物」ではなく、人なつこそうな笑顔を浮かべた普通のオジサンだった。
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