深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

「私」という物語

2013-04-16 19:20:28 | Weblog

この4月から私は、井口晃・長倉顕太両氏の主催するエキスパートユニバーシティに第0期生として参加する。その開始に先立って、井口さんの著書『パワートーク』にあるエクササイズ1~8を1つずつ行い、それをfacebookのウォールに投稿せよ、という課題が出された。で、これがそのエクササイズ1の投稿だ。

エクササイズ1:自分自身を見つめ直し、「古いストーリー」を明確にする。

なお『パワートーク』では、このエクササイズはステップ1「古いストーリーを“知る”」、ステップ2「古いストーリーから受けた影響」、ステップ3「古いストーリーは“誰のせい”か」、ステップ4「古いストーリーから学んだこと」、ステップ5「新しいストーリーは何か」、ステップ6「新しいストーリーから学ぶこと」に分かれているが、ここではそうしたステップに分けずに、全体を一連のものとして述べる。

で、(最初からわかっていたことだが)書いていたら長くなって、ぶつ切りで投稿するのがイヤなので、facebookじゃなく自分のブログに投稿することにした。

では以下、ドラマ『下流の宴』のEDでもあった、高橋優の『誰がために鐘は鳴る』をBGMに。


2011年。震災の後、治療院の売り上げが大きく落ち込み、それがずっと回復しない状態が続き、その有り余った時間で、クラニオセイクラル・ワーク、フォーカシング、クリアリング、インナージャーニー(エネルギー・マスター)など、ありとあらゆるメソッドを使って私は自分の心の中を探り、ブロックを外すことを行ってきてが、その中で思い出したことがあった。

ずっと以前から、私は存在感が薄くて友達も少なかった。

小学校の3年か4年の時だったと思うが、作文で友達を3年挙げて、その人のいいところを書いてくる、という課題が出された。そして授業で1人ひとり、その作文を読み上げさせられたが、私の名前を挙げた人はいなかった。

大学の時、卒業式の後の謝恩会で、クラスの仕切り屋が「じゃ、まずお前」「次はお前な」と、教官たちにお礼の挨拶を述べる人を1人ひとり指名していった。しかし最後まで私の名前は呼ばれず、教官の1人が「あれ、君まだだよね?」と言ってくれたおかげで、私は最後の1人として挨拶することができた。

同じようなことがこれ以外にもあって、そんなことをポツリポツリと思い出した。


またそれと平行して、両親、特に母親に対して強い恐れと憎しみの感情を持っていたことを知った。そして、それを探っていって出てきたこと──

私が生まれた時、カンガルーケアで生まれたばかりの私を乗せられようとした母が「疲れてるのに…」と言った、というのだ。そして、その言葉を聞いて私は「もう、この人は信用できないし受け入れられない。こんな人のいる世界も受け入れられない」と思った──らしい。

このことは母には確認していない。あの時、実際に母がそんな言葉を口にしたのか、口に出してはいないがそう思ったのか、あるいは全て私の妄想/勘違いで、そんな事実は一切なかったのか──真偽は今もわからない。ただ、私がかなり早い時期から母親を拒否していたのは事実である。

そして、いつの時点でか「この(信用できない)世界では、自分は前に出ちゃいけない。目立っちゃいけない。地味にしていなくちゃいけない」と決めたようだ。その結果が、前に述べたような、存在感の薄い自分だった。なるほど、私は自分で決めた通りの人になったのだな。

私は人に対する基本的な信頼感が欠落している、という感じをずっと持ってきたが、それもそういった理由からだったのかもしれない。

他人に対する基本的な信頼感が欠落しているため、私はできるだけ自己完結するような形で生きることを選んできた。それは寂しい生き方だったけれど、例えばこれまでクラニオの翻訳書を5冊出してきたが、そこにあったのは他人を一切アテにせず全て自力でやる、という、ただその覚悟だけだった。

だから、こういう寂しい生き方もまんざら捨てたものではない、と私は今でも思う。


──ここまでが私の「古いストーリー」。そして、ここからは私の「新しいストーリー」だ。


ドイツ人の禅僧、ネルケ無方の書いた『迷える者の禅修行』という本を立ち読みしていた時、著者がドイツの高校で初めて座禅を体験した時のことを書いた、次のような一節を読んでいて、不意に涙が出てきた。

──そしてこの私が「身体」という道具を通して世界と繋がっているのではなく、世界全体が私の身体であり、私と世界を切り離すことはできない──

その後も、この箇所を読むたびになぜか涙が出てくるので、ついにその本を買ってしまった。この本が、次に進むために必要なものへと、自分を導いてくれるような気がしていた。

この本には次のような記述もある。

私は小学生の頃から、人生についてあれこれ悩んでいた。人生をパズルだと考えていた。しかし、私の頭の中にあったそのパズルのピースは、どうにも形が合わないし数も足りない。ひょっとしたら、どこか机の下にでも、椅子の下にでも、『人生の意味』という中心的なピースが落ちているのではないかと、探している年月は長かった。
叢林の中で修行するようになってから、ようやくわかった。あのパズルは私が一人でするものではなく、他にもたくさんの人がいて、それぞれがピースを持っていたのだ。ピースの数が足りなかったのは、周りを見ていなかったからだ。

そして、これがどうも私の次の「新しいストーリー」ではないかと思う。

今度エキスパートユニバーシティに参加することにしたのも、井口さん、長倉さんの「何をするか、ではなく、誰といるか」という言葉に響くものがあったから。私の持つピースが誰のどんなピースとつながるのか、見てみたくなったからだ。私のピースが別の人のピースと結びつくことで、これまで見たこともないような絵ができたらいいな、と今はそう思う。

──というわけで、これが私のエクササイズ1の回答だ。

あーそうそう。エキスパートユニバーシティはまだ0期生の募集を行っている。興味があれば、ここをクリックしてみてほしい。

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2 コメント

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初めまして^^ (まさ)
2013-05-13 09:15:02
はじめまして!まさと言います。
ブログ見ていて、長倉顕太さんの
記事があったのでコメントしてしまいました。
長倉さん、良いですよね。

他の記事も深くて、勉強になります^^

こちらもブログやってるので
(タイトルがちょっと軽いですが)
良かったら遊びに来てください^^
返信する
コメントありがとうございます。 (sokyudo)
2013-05-13 10:34:16
>まささん

コメントいただき、ありがとうございます。
長倉さんからは今、セミナーでケツを叩かれてまくってます。
まささんのブログも読ませてもらいますね。
返信する

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