時々真実ということを考える。真実とは何だろうか? それは本当に存在するのか? 存在したとしても、それはとらえられるものなのか?
真実と良く似たものとしては、例えば治療の世界では「根本原因」というものがそれに当たる。治療法や治療院の説明の中で、よく「根本的な治療」という言葉を目にする。「○○法/××治療院は、単に症状を取るだけでなく、根本的な原因にアプローチすることを行います」等々。では根本的な原因とは何だろう?
例えばカイロプラクティックでは脊椎の変位を探り出し、それをアジャストメント(矯正)することで治療する。実際、アジャストメントで症状が劇的に改善するケースがある。彼らは脊椎の変位こそが根本原因だと言う。では脊椎を変位させるものとは何なのだろう? 根本原因と言うのなら、脊椎を変位させるものこそが根本原因ではないのか?
例えば鍼灸では、さまざまな流派があるが、中医学的な見立てによって診断・治療するグループがある。彼らは中医弁証という形の弁証論治によって体の状態を探り、それに基づいてツボの選穴・配穴を行い、施術する。それによって症状が劇的に改善するケースがあるが、では弁証論治の結果、求められたもの(証)が病の根本原因なのだろうか?
キネシオロジーの施術では、筋肉反応テスト(筋反射テスト)を使って無意識のレベル、肉体を越えた部分、時間を過去へと遡った状態にまでアクセスすることができる。そうしたものによって、症状が劇的に改善するケースがある。しかし、それによって私は多少でも根本的な原因に辿り着くことができたのだろうか? 患者には時々偉そうなことも言っているが、本当はうまい具合に手っ取り早く症状を改善できるものを探り当てただけだということは、自分が誰よりもよく知っている。
クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)では、施術者の意識のあり方によって集合的無意識のレベル、あるいは更にそれを越えたレベルにアクセスすることが可能だと本には書いてある。仮にそのレベルまでアクセスできたとして、では、そこで得られたものが根本原因と呼べるものなのだろうか? ──わからない。全くわからない。
新転位・21の冬公演『シャケと軍手-秋田児童連続殺害事件-』を観た。この舞台のモチーフとなった秋田児童連続殺害事件とは──
平成18年4月から5月にかけて、秋田県の藤里町で同じ小学校に通う畠山彩香ちゃん(当時小4)と米山豪憲君(当時小1)が相次いで行方不明になり、その後遺体で発見されるという事件があった。彩香ちゃん失踪死亡事件は当初、警察の捜査で事故死と結論づけられたが、豪憲君死亡事件で彩香ちゃんの母親、畠山鈴香容疑者が捜査線上に浮かび、その後、鈴香容疑者が彩香ちゃんの死にも関与していたことが判明。警察は鈴香容疑者を2人の殺害容疑で逮捕し、現在その公判が続いている。鈴香容疑者は豪憲君殺害は認めたものの、彩香ちゃんの殺害については否認を続けている。
この事件は当時、マスコミにもかなり注目され、畠山鈴鹿容疑者逮捕後には、その前にマスコミを集めて会見を行ったり、その反対にふてぶてしい態度でマスコミの取材を拒否する鈴香容疑者の姿がワイドショーなどで繰り返し流されたので、覚えている方も多いのではないだろうか。
以前から彩香ちゃんはいつも薄汚れた同じ服をずっと着ていて、近所の家にガスが止められたからとカップラーメンのお湯をもらいに行くなど、母親から面倒を見てもらっていなかったということで、事件直後から町では鈴香容疑者が怪しいという噂が流れていたらしい(町内会に参加しないなど、町の住人としっくりいっていなかったことも一因だろう)。そういうことで、鈴香容疑者に対するマスコミの論調は「他人の子供だけでなく我が子まで手にかけた悪魔のような女」といったニュアンスのものであり、(もちろん関係者とは一面識もないが)私も漠然とそう思っていた。
だが、この『シャケと軍手』は、あくまで実際の事件を題材としたフィクション、と断りながらも、かなり綿密な取材に基づくと思われる、鈴香容疑者の事件に至る経緯を描くことで、結果として、彩香ちゃんは鈴香容疑者に故意に殺害されたのではない、という結論を導き出している。ここに描かれたスズカは、マスコミが伝える鈴香容疑者と同じ人物でありながら、マスコミが描く鈴香像とは全く違った人物として見えてくる。その時、観ている我々の心が揺らぎ始めるのだ──一体どちらが真実の畠山鈴香なのだろう、と。
実は、それまでハタケヤマ・スズカの、家族や周囲との軋轢や、それによって疲弊していく様子が延々と描かれ、この芝居は一体何をしたいんだろう、と観ていて不安になる中、クライマックス(と言っても、芝居上は劇的な何かが起こるわけではないのだが)で自分の真実に対する価値観が揺らぐのを感じた瞬間、「やられた」と思った。山崎哲が本当は何を意図してこの舞台を作ったのかはわからないが、私にとっては真実というものの底知れなさを感じられたことで、この舞台を観た価値はあった。
それから、誤解のないようにお断りしておくが、『シャケと軍手』に描かれた秋田児童連続殺害事件がどれだけ事実に基づいたものかは、私にはわからない。もしかしたら、ここに描かれたものは山崎哲の想像が生み出した完全なフィクションであるのかもしれない。
しかしまた、そうだとしても、ではマスコミが作り出した鈴香像は、あるいは警察・検察の描く鈴香像は、どれだけ真実の畠山鈴香に近いものなのだろう? あるいは人の真実の姿など、とらえることは可能なのだろうか? あるいは、そもそも真実などというものはどこにもないのだろうか?
今回は、佐野史郎・石川真希夫妻、飴屋法水、十貫寺梅軒という豪華客演があって、普段の転位の舞台とは趣を異にした。特にスズカを演じた石川真希は出色(さすがはベテラン)。それにしても前回の夏公演『向日葵』の時も感じたことだが、転位の俳優陣が大人数で登場すると、本来なら緊迫感溢れると思われるシーンでも妙にまったり感が漂うのは何故だろう?
次回(多分、2009年夏)公演は『アキバ、飛べ。-秋葉原無差別殺傷事件-』だ。舞台についての詳細は、新転位・21のHPで。そういえばfirefoxでもちゃんと見られるようになっていた。
真実と良く似たものとしては、例えば治療の世界では「根本原因」というものがそれに当たる。治療法や治療院の説明の中で、よく「根本的な治療」という言葉を目にする。「○○法/××治療院は、単に症状を取るだけでなく、根本的な原因にアプローチすることを行います」等々。では根本的な原因とは何だろう?
例えばカイロプラクティックでは脊椎の変位を探り出し、それをアジャストメント(矯正)することで治療する。実際、アジャストメントで症状が劇的に改善するケースがある。彼らは脊椎の変位こそが根本原因だと言う。では脊椎を変位させるものとは何なのだろう? 根本原因と言うのなら、脊椎を変位させるものこそが根本原因ではないのか?
例えば鍼灸では、さまざまな流派があるが、中医学的な見立てによって診断・治療するグループがある。彼らは中医弁証という形の弁証論治によって体の状態を探り、それに基づいてツボの選穴・配穴を行い、施術する。それによって症状が劇的に改善するケースがあるが、では弁証論治の結果、求められたもの(証)が病の根本原因なのだろうか?
キネシオロジーの施術では、筋肉反応テスト(筋反射テスト)を使って無意識のレベル、肉体を越えた部分、時間を過去へと遡った状態にまでアクセスすることができる。そうしたものによって、症状が劇的に改善するケースがある。しかし、それによって私は多少でも根本的な原因に辿り着くことができたのだろうか? 患者には時々偉そうなことも言っているが、本当はうまい具合に手っ取り早く症状を改善できるものを探り当てただけだということは、自分が誰よりもよく知っている。
クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)では、施術者の意識のあり方によって集合的無意識のレベル、あるいは更にそれを越えたレベルにアクセスすることが可能だと本には書いてある。仮にそのレベルまでアクセスできたとして、では、そこで得られたものが根本原因と呼べるものなのだろうか? ──わからない。全くわからない。
新転位・21の冬公演『シャケと軍手-秋田児童連続殺害事件-』を観た。この舞台のモチーフとなった秋田児童連続殺害事件とは──
平成18年4月から5月にかけて、秋田県の藤里町で同じ小学校に通う畠山彩香ちゃん(当時小4)と米山豪憲君(当時小1)が相次いで行方不明になり、その後遺体で発見されるという事件があった。彩香ちゃん失踪死亡事件は当初、警察の捜査で事故死と結論づけられたが、豪憲君死亡事件で彩香ちゃんの母親、畠山鈴香容疑者が捜査線上に浮かび、その後、鈴香容疑者が彩香ちゃんの死にも関与していたことが判明。警察は鈴香容疑者を2人の殺害容疑で逮捕し、現在その公判が続いている。鈴香容疑者は豪憲君殺害は認めたものの、彩香ちゃんの殺害については否認を続けている。
この事件は当時、マスコミにもかなり注目され、畠山鈴鹿容疑者逮捕後には、その前にマスコミを集めて会見を行ったり、その反対にふてぶてしい態度でマスコミの取材を拒否する鈴香容疑者の姿がワイドショーなどで繰り返し流されたので、覚えている方も多いのではないだろうか。
以前から彩香ちゃんはいつも薄汚れた同じ服をずっと着ていて、近所の家にガスが止められたからとカップラーメンのお湯をもらいに行くなど、母親から面倒を見てもらっていなかったということで、事件直後から町では鈴香容疑者が怪しいという噂が流れていたらしい(町内会に参加しないなど、町の住人としっくりいっていなかったことも一因だろう)。そういうことで、鈴香容疑者に対するマスコミの論調は「他人の子供だけでなく我が子まで手にかけた悪魔のような女」といったニュアンスのものであり、(もちろん関係者とは一面識もないが)私も漠然とそう思っていた。
だが、この『シャケと軍手』は、あくまで実際の事件を題材としたフィクション、と断りながらも、かなり綿密な取材に基づくと思われる、鈴香容疑者の事件に至る経緯を描くことで、結果として、彩香ちゃんは鈴香容疑者に故意に殺害されたのではない、という結論を導き出している。ここに描かれたスズカは、マスコミが伝える鈴香容疑者と同じ人物でありながら、マスコミが描く鈴香像とは全く違った人物として見えてくる。その時、観ている我々の心が揺らぎ始めるのだ──一体どちらが真実の畠山鈴香なのだろう、と。
実は、それまでハタケヤマ・スズカの、家族や周囲との軋轢や、それによって疲弊していく様子が延々と描かれ、この芝居は一体何をしたいんだろう、と観ていて不安になる中、クライマックス(と言っても、芝居上は劇的な何かが起こるわけではないのだが)で自分の真実に対する価値観が揺らぐのを感じた瞬間、「やられた」と思った。山崎哲が本当は何を意図してこの舞台を作ったのかはわからないが、私にとっては真実というものの底知れなさを感じられたことで、この舞台を観た価値はあった。
それから、誤解のないようにお断りしておくが、『シャケと軍手』に描かれた秋田児童連続殺害事件がどれだけ事実に基づいたものかは、私にはわからない。もしかしたら、ここに描かれたものは山崎哲の想像が生み出した完全なフィクションであるのかもしれない。
しかしまた、そうだとしても、ではマスコミが作り出した鈴香像は、あるいは警察・検察の描く鈴香像は、どれだけ真実の畠山鈴香に近いものなのだろう? あるいは人の真実の姿など、とらえることは可能なのだろうか? あるいは、そもそも真実などというものはどこにもないのだろうか?
今回は、佐野史郎・石川真希夫妻、飴屋法水、十貫寺梅軒という豪華客演があって、普段の転位の舞台とは趣を異にした。特にスズカを演じた石川真希は出色(さすがはベテラン)。それにしても前回の夏公演『向日葵』の時も感じたことだが、転位の俳優陣が大人数で登場すると、本来なら緊迫感溢れると思われるシーンでも妙にまったり感が漂うのは何故だろう?
次回(多分、2009年夏)公演は『アキバ、飛べ。-秋葉原無差別殺傷事件-』だ。舞台についての詳細は、新転位・21のHPで。そういえばfirefoxでもちゃんと見られるようになっていた。
吹き出しそうになってしまいました。
本当に鍼灸なんて、鍼や灸だけで治療出来ると思っている人が多過ぎます。
それだけの技術を持って
>わからない。全くわからない。
と言ってみる先生がニクイですね。
今調度、患者さん達と先生の噂をして帰って来たところです。
人体・自然の楽しさを堪能させて頂いています。
有難う御座います。
どうも時々、自分が「は~い、治療ですよ~」などといってやっていることが、本当のところ何なのか、よくわからなくなることがあるもので…。
書きたかったのは芝居のレヴューだったんですが。
それにしても、こんなものを夜中の2時に書いている私も私ですが、朝の5時前にコメントを書いてくれる先生も、ある意味オソロシイ人ですね。
「俺が治してやっている!」と豪語する方の多い中、『自分が「は~い、治療ですよ~」などといってやっていることが、本当のところ何なのか、よくわからなくなることがあるもので…。』と書き込む先生が面白くて仕方ありません。しかも、時々、如何に高度な話のモノであるのか解らない人が、真面目に突っ込んで来るのが笑えます。
ウル@俺の家様も先生のブログ、最初から読んでしまったようです。
なので、この居酒屋での会話は非常に高度です。
今回は、舌の位置で顔面の経絡の流れが変わるのが確認出来ました。
先生のブログの御蔭で、楽しく遊べています。
皆で毎回心待ちにしていますので、宜しく御願い致します。
来年には、治療も御願致します。
>先生の書き込みの臭いがしましたので、パソコンを立ち上げてしまいました。
どんな匂いですか?
それにしても鋭い。直観力ですか。直観力がある人には、あこがれますね。
>先生のブログの御蔭で、楽しく遊べています。
皆で毎回心待ちにしていますので、宜しく御願い致します。
そんな大したモノじゃないのに…恐れ入ります。期待せずにお待ちください。
「本当の真実」みたいに。
私も軽々しく患者に使ったりしてますが、「根本原因」なんて本当は無いのかも。
「根本原因」というと、なんか地中深くの古い地層みたいなところにあるものや、植物が地中深くに根をはったようなものを想像してしまうのです(私だけ?)。
しかし、私の勝手な解釈の「原因」というのは、大群で泳ぐ小魚の群れなんかがイメージに近いでしょうか?
P2Pのような状態でつながっているPCのネットワークの方が近いのかな?
何かでつながっているけれど、どれが本体(大本)というものでもない。
その全体像を私たちが症状と呼んでいるのかなと、最近は考えます。
だから、ある意味全ては対症療法なんじゃないかと。
異常を見つけたPCをカチャカチャやっているだけみたいな。
でも、その中からネットワーク全体に影響をあたえることが出来た操作やプログラムが、一応治ったということになる・・・みたいな。
分かりにくいですね。
SFドラマ「スタートレック」シリーズに出てくるボーグが一番近いイメージです。
さらに分かりにくいか?
新転位・21 お芝居なんてあまり興味なかったですけど、面白そうですね。
ちょっと行って見ようかなと思いました。
sokyudo先生の独自の視点のレビュー悪くないですよ
>P2Pのような状態でつながっているPCのネットワークの方が近いのかな?
>何かでつながっているけれど、どれが本体(大本)というものでもない。
>その全体像を私たちが症状と呼んでいるのかなと、最近は考えます。
おお、なるほど! このP2Pという視点は目から鱗です。確かにそうかもしれませんね。
更にもう一歩押し進めると、我々1人ひとりもまた、大きなネットワーク・システムを構成するコンポーネントの1つであるとも考えられます。とすると、たとえ小さくても、そのコンポーネント1つの不具合は、システム全体を狂わせかねないわけで、医療の本質というのはそういうところにあるのかな、と思うのです(いわゆるヒューマニズム云々じゃなく)。
>お芝居なんてあまり興味なかったですけど、面白そうですね。
>ちょっと行って見ようかなと思いました。
芝居は当たり外れも大きいですが、「当たり」に出合ってしまったら、かなりはまると思いますよ。
↑こういう構造が小さい細胞のレベルから宇宙レベルまで、フラクタルな感じになってるのかもしれませんね。
それも縦横縦横無尽に。
こちらの中途半端な刺激に対しては、対応したりネットワークを通じて逃げ回ったり。
それで最初に無かった症状が出たり、変化したりすると。
病気も生き物ということでしょうか?
自分でいい始めておいて、なんかとんでもないものに足突っ込んでしまった気になってきた
今までは、階層を掘り下げる意識が強かったものをそれも実は縦に伸びるネットワーク構造で、他にもそこから縦横斜めに広がる何かがあると考えるやり方にシフトしていこうと、今思いました
所詮人間の考える事ですから、どうなのか分かんないですけどね。
人はこういうモデルを脳に作り上げないと、治療できないのでしょうかね
>今までは、階層を掘り下げる意識が強かったものをそれも実は縦に伸びるネットワーク構造で、他にもそこから縦横斜めに広がる何かがあると考えるやり方にシフトしていこうと、今思いました
それ、いただきまっす
この概念でどう組み立てるか、先生の意見もそのうち聞かせてください
はい、考えてみます。