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「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

腰痛放浪記

2020-02-26 09:59:04 | 症例から考える
この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれないし、あるいはまた、私自身に回生のきっかけを与えてくれるかもわからない。
第1章の冒頭に記されたこの言葉は、ひどい腰痛になって2年後のもので、この当時、著者はまだこの腰痛との終わりの見えない戦いの中にあったはずだが、何と全くその通りだったことがわかる。夏樹静子の『腰痛放浪記 椅子がこわい』は、まさに夏樹静子という存在の遺書であり、回生の記であったのだから。

夏樹静子とはもちろん、日本のミステリ史にその名を刻む女流作家、夏樹静子である。その彼女が腰痛を発症したのは、まえがきによると1993年1月のことだったという。その症状は
毎日毎日、ほとんどの時間、腰の痛みに苛まれている。痛みの質や程度は時によってちがうが、腰全体がまるで活火山になったように熱感を伴ってガンガン痛い時や、骨にヒビでも入るようにみしみし、しんしん痛む時、あるいは尾骶骨(びていこつ)のちょっと上がなんとも頼りない感じでボワッと痛んだり、かと思えばおヘソの真後ろくらい高い位置が、もう身体(からだ)を支えていられないといわんばかりに怠痛(だるいた)かったり……。
というもので、それが朝起きると同時に始まって、ごく短時間の場合を除いて椅子に座ることも立っていることもできない、という状態だった。

一般に、仕事柄ずっと座り続ける作家やマンガ家のような人間にとって、腰痛は半ば職業病のようなものだと言われている。実際、夏樹静子も整形外科医の光安和夫から
「一口にいって、運動不足と筋肉の弱化です。坐ってばかりの生活で、一定の腰の筋肉だけを使いすぎて、そこが疲れてしまったんですよ。カードを使いすぎて預金残高が底をつているのと同じです。運動して筋肉を鍛えれば必ず治ります」
ということで水泳を勧められ、かなり熱心にプールに通ったことも書かれている(で、その甲斐あって確かに自覚できるまでに筋肉もついたものの、腰痛自体は改善することはなかった)。

この本には、上の光安医師をはじめ、彼女が腰痛の治療遍歴=「ワンダリング」する中で出会った医師、治療家が全て実名で登場するが、さすがは指折りの売れっ子作家というべきか、ざっと拾うだけでも、灸頭鍼(きゅうとうしん)の島倉鶴久、九州大学病院整形外科教授で後に学長も務めた杉岡洋一、杉岡の同期で九大神経内科教授の後藤幾生、手翳(かざ)し療法の高塚光、遠藤周作夫人の腰痛を快癒させたという気功師の衛藤陸雄、中川式気功の創始者の中川雅仁、当時、大関だった曙の東洋医学方面の主治医だったという劉勇(りゅう ゆう)、小林秀雄や碁の女流大家も通ったというカイロプラクターの及川淳(じゅん)、高気圧酸素療法で名を知られた整形外科医の川嶌真人(かわしま まさと)、彼女の担当編集者がヘルニアを治してもらったというカイロプラクターで鍼師の福原繁、河合隼雄から紹介されたという九大心理学教授の藤原勝紀、東京女子医大教授で同大東洋医学研究所所長の代田(しろた)文彦、…など、フツーの人だったらこの中の1人、2人にさえ会うことが難しいかもしれない蒼々たる顔ぶれだ。

このほかにもさまざまな病院、治療院をまわったり、周囲の人たちの勧めを取り入れたりして、筋トレ、鎮痛剤、筋弛緩剤、抗鬱剤、硬膜外神経ブロック、ホルモン・チェック、メガネの度の調整、鍼、灸、マッサージ、テーピング、びわの葉温灸、整体、カイロプラクティック、肛門からの尾骨矯正、気功、温熱療法、野菜スープ、除霊など、考えられる限りのことを試すのだが、結局、彼女の腰痛が治ることはなかった(劉勇と福原繁の治療を受けた後は一時、症状が軽減したこともあったようだが、その辺りについては、「たいへんな名医」といったふれこみがあると、こちらが暗示にかかって、一時的に治ったような気になるのかもしれない、と冷静に分析している)。

そして最後に、彼女の腰痛を「典型的な心身症ですね」と喝破した、心療内科医の平木英人(ひでと)と出会い、
「でも、心因でこれほどの激痛が起きるとは考えられません」
「心因だからこそ、どんな激しい症状でも出るのですよ。そして神経質な人ほど、自分ほど苦しいものはないと思い込んでいるんですね」
といった激しいやり取りと治療を巡る壮絶な戦いを経て、腰痛は改善に向かう。その過程を最後まで辿った後、読者が再び最初のページに戻って本書を読み返す時、このレビューの最初に掲げた
この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれないし、あるいはまた、私自身に回生のきっかけを与えてくれるかもわからない。
という一文を見たら、ハッと驚くだろう。「もしかしたら彼女は最初から全てを知っていたのではないか?」と。この本はミステリではなく本人の手になるドキュメントだが、実は並みのミステリ以上のミステリなのだ。

さて、かくいう私も治療家なので、読みながらいろいろ考えさせられた。もし仮に当時の夏樹静子がやって来たら、私は彼女の腰痛を改善させることができたのだろうか? あるいは改善させることができないまでも、多少でも意味のあるアドバイスができたのだろうか?(相手がそれを聞く耳を持っていたかどうかはともかく。)実際に彼女の腰痛の原因が分かった後で、本書に登場した医師、治療家たちの言葉を見直してみると、誰が本物で誰が偽物だったかがおぼろげに見えてくる。そんな中にあって、平木医師は別として、例えば
「あなたは心の中では本当は仕事をしたくないんじゃないか。しかし、その口実が見当たらないので、病気をつくっている。つまり病気に逃げ込んでいるのではないか」
と「疾病逃避」の可能性に言及していた、夫の親しい同級生で開業医の向笠(むかさ)広昭や
「ぼくの感じとしては、時間はかかるかもしれないが、何か大きな世界がひらけてくるんじゃないかなあ。(中略)人間は大きな変革をする時に、産みの苦しみのようなものを味わうことがあるんですよ。それがクリエイティブな仕事をしている人だと、ジャンルを変えたりする場合などにね。(中略)ただね、どんな世界がひらけてくるか、これはまだわかりませんよ。だから本当に引退を賭けるつもりで闘いなさい」
と語ったユング派心理学者の河合隼雄などは、まさに慧眼だったと言えるだろう。

それにしても、ここに出てきた医師、治療家の多くは「必ず治ります」と言い切っていたが、実際に治せたのは平木医師だけだった。治療者の言う「必ず治る」、「絶対治す」という言葉の何と軽いことか。それを改めて思わずにいられない。

余談だが、同じ腰痛治療の遍歴を描いた高野秀行の『腰痛探検家』を合わせて読むと、医療業界とはどういうものかについて、より理解が深まること請け合いである。
 
※「本が好き」に投稿したレビューを再録したもの。
 

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