私の元カミさん(数年前に別れた)は、子供の頃からかなり霊感が強かったらしい。まだ結婚していた頃、二人で赤城山のロッジに泊まったのだが、朝、私が一人でそこらをフラフラ出歩いて戻ってきたら、背中にお婆さんを乗せていたらしい。私は全く気づかなかったが。
また、元カミさんの実家の近くには自殺の名所と呼ばれているところがあり、昔からそこに近づくと体調が悪くなる、ということで、誘っても決して行こうとはしなかった。私は一度そこに一人で行って、ベンチでゴロゴロしていたらそのまま1時間ほど眠ってしまったのだが、特にコレと言って何も起こらなかった(あるいは、自分で気づいていないだけなのかもしれない)。
その後、治療家を名乗るようになって、アプライド・キネシオロジーやクラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)などを使うようになっても、自分の本質的な鈍さは、あまり変わっていないようだ。今も霊やその他、得体の知れないものを見たことはない。だから、そういったものが見え、声が聞こえる人たちのことは、よくわからない(元カミさんは、ずいぶん悩んだり苦しんだりしたそうだが)。
テレビ東京で月曜夜25:00(つまり、火曜の午前1:00)から放送しているアニメ『夏目友人帳』は、そんな妖(あやかし)を見る力を持ってしまった少年の物語。早くに両親と死別した夏目貴志は、小さい頃から他の人には見えないものの姿が見え、声が聞こえるため、気味悪がられて親戚中をたらい回しにされてきた。その貴志が、ふとしたことから亡き祖母レイコの作った「友人帳」を手にすることになる。「友人帳」とは妖の名前が書かれたもので、「友人帳」を手にする者は、そこに名前の書かれた妖を使役することができるのである。
そもそも、レイコが「友人帳」を作ったのも、彼女もまた妖を見る力を持っていたため、周囲から理解されず孤独であったためだ。その孤独さから、彼女は妖たちに勝負を挑み、それに勝ち続け、負けた妖に名を「友人帳」に書かせてきたのである(彼女がそれを「友人帳」と名づけたことも、考えると切ない)。
と言っても、『夏目友人帳』は、その「友人帳」を手に入れた貴志が妖を操って「新世界の神となる」、といった話ではなく、名前を返してもらいに来た妖に名前を返してあげたり、妖の頼み事の相談に乗ってやる、という、ただそれだけのユル~い物語である。だが、貴志の前に現れる妖たちとの、ひとときの出会いと別れ、また貴志の、妖を見る力を持ってしまったがゆえの静かな悲しみ──そんなことの一つひとつが、視ていて本当に心地いいのだ。それは多分、『夏目友人帳』が決して大きな事件が起こるわけでもない平凡な日常の、その平凡であることの輝きを丁寧にすくい取って見せてくれるからだろう。
そして何より『夏目友人帳』は、私には昔視た「カルピス子供劇場」と同じ匂いがする。フジテレビで日曜日の夜7:30から放送していた、懐かしい「カルピス子供劇場」。その、特に夏にやっていた『ムーミン』(もちろん、ムーミンの声は岸田今日子)を視ていた時のことを、なぜか思い出すのだ。ストーリーも絵柄も全く違う作品であるにもかかわらず、自分が当時『ムーミン』を視ながら思っていた、感じていた、考えていたことが、『夏目友人帳』を視ていると、懐かしさとともに体の中に甦ってくるような気がしてしまうのである。それは本当に不思議なことだ。
作品についての詳細は、『夏目友人帳』公式HPを参照、と言いたいところだが、あまり大した情報は載っていない(ように思う)。7/21に第3話が放送されたが、過去に放送された分を含めて、動画サイトで見ることができる(検索には動画検索エンジンFoooooを使うと便利)。だが、違法投稿なので、いつ消されてしまうとも限らない。ご注意あれ。
また、元カミさんの実家の近くには自殺の名所と呼ばれているところがあり、昔からそこに近づくと体調が悪くなる、ということで、誘っても決して行こうとはしなかった。私は一度そこに一人で行って、ベンチでゴロゴロしていたらそのまま1時間ほど眠ってしまったのだが、特にコレと言って何も起こらなかった(あるいは、自分で気づいていないだけなのかもしれない)。
その後、治療家を名乗るようになって、アプライド・キネシオロジーやクラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)などを使うようになっても、自分の本質的な鈍さは、あまり変わっていないようだ。今も霊やその他、得体の知れないものを見たことはない。だから、そういったものが見え、声が聞こえる人たちのことは、よくわからない(元カミさんは、ずいぶん悩んだり苦しんだりしたそうだが)。
テレビ東京で月曜夜25:00(つまり、火曜の午前1:00)から放送しているアニメ『夏目友人帳』は、そんな妖(あやかし)を見る力を持ってしまった少年の物語。早くに両親と死別した夏目貴志は、小さい頃から他の人には見えないものの姿が見え、声が聞こえるため、気味悪がられて親戚中をたらい回しにされてきた。その貴志が、ふとしたことから亡き祖母レイコの作った「友人帳」を手にすることになる。「友人帳」とは妖の名前が書かれたもので、「友人帳」を手にする者は、そこに名前の書かれた妖を使役することができるのである。
そもそも、レイコが「友人帳」を作ったのも、彼女もまた妖を見る力を持っていたため、周囲から理解されず孤独であったためだ。その孤独さから、彼女は妖たちに勝負を挑み、それに勝ち続け、負けた妖に名を「友人帳」に書かせてきたのである(彼女がそれを「友人帳」と名づけたことも、考えると切ない)。
と言っても、『夏目友人帳』は、その「友人帳」を手に入れた貴志が妖を操って「新世界の神となる」、といった話ではなく、名前を返してもらいに来た妖に名前を返してあげたり、妖の頼み事の相談に乗ってやる、という、ただそれだけのユル~い物語である。だが、貴志の前に現れる妖たちとの、ひとときの出会いと別れ、また貴志の、妖を見る力を持ってしまったがゆえの静かな悲しみ──そんなことの一つひとつが、視ていて本当に心地いいのだ。それは多分、『夏目友人帳』が決して大きな事件が起こるわけでもない平凡な日常の、その平凡であることの輝きを丁寧にすくい取って見せてくれるからだろう。
そして何より『夏目友人帳』は、私には昔視た「カルピス子供劇場」と同じ匂いがする。フジテレビで日曜日の夜7:30から放送していた、懐かしい「カルピス子供劇場」。その、特に夏にやっていた『ムーミン』(もちろん、ムーミンの声は岸田今日子)を視ていた時のことを、なぜか思い出すのだ。ストーリーも絵柄も全く違う作品であるにもかかわらず、自分が当時『ムーミン』を視ながら思っていた、感じていた、考えていたことが、『夏目友人帳』を視ていると、懐かしさとともに体の中に甦ってくるような気がしてしまうのである。それは本当に不思議なことだ。
作品についての詳細は、『夏目友人帳』公式HPを参照、と言いたいところだが、あまり大した情報は載っていない(ように思う)。7/21に第3話が放送されたが、過去に放送された分を含めて、動画サイトで見ることができる(検索には動画検索エンジンFoooooを使うと便利)。だが、違法投稿なので、いつ消されてしまうとも限らない。ご注意あれ。
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