韻ふんじゃったよ衝撃的過ぎて。
先日私が友人会合をキャンセルされた理由が判明して、それが2週間程度のめいそう体験に行くという理由であった。
ひらがなにしているが
めいそうとはメディテーションの意である。
別にめいそうそのものは悪いものではないし体験に行ったり
何かを信仰したりするのは人の自由なので勝手にすれば良いと思うが、
私の方が先約だったけど長期旅行とおなじくらいめいそう体験が大事だったんだな…となんだか寂しい気持ちになった。
あと、かつてはそういうことはしない義理堅い人だったので、そっか〜…とさらに寂しい気持ちになっている。
旅立つ直前に友人に「めいそうから帰ってきてからもし私の言動に違和感感じたら教えてね」と言われたという話を夫にしたらば、
その本心は「洗脳されてしまうことを恐れているからもしその恐れがあったら止めてほしい」ということだと思うよと言われた。
しかしなぁ…。
有体もなく言ってしまえば
もしその発言が正しくそういう意図だったとしたらなんか不安があるならやめたほうがいいし(やってみたら意外と良いかもしれない、とか、まだ大丈夫、とかは自分のリスク許容度を超える行為を行う時に自分の行為を自分に正当化するための呪文だと思っている)
そもそも前の物事の優先順位はそうではなかったし
まぁつまり、
なんかもうちょっと実はおかしいんじゃないの?と思ってしまっている私がいる。
ハッキリ言えばいいじゃん、と思われるかもしれないが、客観的な友人の現状はと言えば(ディスっているわけではなく単純な事実確認)
私と同じで親兄弟と疎遠で
再就職はまだで勤めておらず
恋人や伴侶がおらず
私にその件をお願いするくらいには実は深い付き合いのある友人は他にいないのかもしれず
そういう状況の中で、こうして望む方向とは逆の突き放すような事を言っても差し支えがないのか、果たしてどの様な言い方でどこまでなら言っても大丈夫なのかが自信がなくて悩んでいる。
大変真面目で頭の良い人で、金銭感覚もキッチリしているから大丈夫でしょう、とも思いたいが、かつて東大京大生すら宗教やある種の理念のために社会的には身を持ち崩した先人達は山程居るので、頭がいいから大丈夫とも限らないしなぁ…とも思っている。
言ってみたら「そっか〜」で受け入れられるかもしれないが、自分探しが最早ライフワークなの?というくらいには長いので、言ってどうにかなるものでもなし…と思ってしまっている自分もいる。
というわけで色々悩み中。
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