生産性がある
というとあたかも人類にとって素晴らしい価値があり、そうじゃない人間は虐げてもいい、みたいなニュアンスがあって好きじゃない
そんな言うなら
生産性のない人間が安全に楽にこの世を去る手段を用意して差し上げれば良いのに、生産性の高い(と自負している)者にとっては自らの搾取対象がなくなっては困るものだから「いやいや人間の尊厳が」とかもっともらしい言い訳をしたりする
会社に入って資本主義社会でもっと金稼げどんどん効率化しろと教育されるものだから、あたかも、それが生まれながらに持ってきた考えかのように効率化効率化言い出す。
パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (SB文庫)にも近しいことが書かれてた気がする。
自分が一生で使う資源以上の物を他人を搾取して得ようとする、みたいなこと。
黒柳徹子さんの著書のどこかに「子供の頃が一番純粋で人として大事なことを大事にできる」大人はその心を失ってくのだ、みたいな文章読んだ記憶があるのだけど(なんの著書だったろう、窓際のトットちゃんかな)ほんとにそのとおりだよね
ニュース見てるとびっくりするようなこと、かなりあるもの。
好きに生きたらいいとは思うけど、私を生産性教に矯正しようとしないでほしいわ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます