私が遊び呆けているのは子供時代の憧れの代償行為なんだな、と以前書いた。
同じようなポストを読んで、誰しもそういう心の子どもはひとつや2つあるんじゃないのかな、と思った。
夫も1個あるし。
私の場合
— トダ (@_t0da_) October 26, 2024
大人になっても
子どもの頃閉め出されて駐車場で寝た時の寒さを思い出して、暖かい飲み物を衝動的に買うときがある
ただその心の中の泣いてる子どもを宥めすかして生きていくしかない
消えることはない
私の亡くなった方の親が特にそうで、幼少期貧しくて満足に食べられなかったため、大人になっても食べ物が沢山ないと不安であり冷蔵冷蔵庫はパンパンで備蓄もパンパン、本当に「死ぬまで」食べ物に関する渇望は消えないまま死んでいった。
親の兄弟もそうで、叔父叔母が集めると食べきれない程の大量の食べ物を注文したり贈り合ったりするので、従兄弟ら子世代から見ると暴食さを感じさせて異常であった。
みんな何がしかそういうのはあるのかな。
普通に生きているが、そういう何かが欠けた(満たされない思いをかかえた)自我同一性として生きているだけで、欠けた部分が元にもどってまんまるになることはない。
ということで、自分の中の心の子供をヨシヨシ( T_T)\(^-^ )しながら皆普通に生きているんだな。
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