死というものに対して妄想凄いという話を書いた。
結局分からずじまいだった。
当然である。
関わらなかったからである。体験しないものに対しては何も現実感はない。
死後は死に化粧状態だったので、祖母で経験済み。
遺体というものを初めて見た子供3の子である甥はショックを受けていた様子であった。そりゃそうだ。
とはいえ、祖母は干からびていたのに対して親はグラトニーだったのと腎機能低下による浮腫が激しかったが故に普通にタップリとした水分を含んでいる遺体だった。
よって遺体の状態は大変普通だった。
事前に1度合っているのでその時から変わった様子はなかった。
親はワーファリンのような血液をサラサラにする薬を飲んでいたので、生前の大量の内出血状態の方が「凄いな」という感覚であった。
以下引用である。
「これまで人が刃物で刺される音は何度聞いたか分かりません。昔のドラマだと『グサッ』なんていう効果音が入っていますけど、実際はそんな音しませんよ。お腹を刺された時はほぼ無音。入っていたとしても、刃物を持つ手が相手の体に当たる音くらいです。ただし、メッタ刺しの時はさすがに特徴的な音が出ます。『カツ、カツ、カツ』ですね。これは刃物が被害者の骨に何度も当たる音。犯人も相手を殺そうと必死です。人間には200個ほど骨があるので、どうしてもどこかに当たってしまうのです。被害者側にしても、よく言われる断末魔の叫びは聞いたことがありませんね。『ぎゃあ』すらなくて、だいたいが『うっ』で終わり。こういった死に際の音を聞いていてつくづく思うんですが、本当に人の命はあっけないですよ」(村岡さん)
この記事は千葉音声研究所で代表理事を務める村岡睦稔さんという方にお話を聞いたものらしい。
村岡氏の父は法医学者だったそうで、音声解析の仕事を始めると言ったら、正確な鑑定書を作成する技術、それから警察や裁判時の対応など、解析以外に必要な仕事のイロハをすべて叩き込んでくれたそうだ。
そういう経緯で警察や弁護士からの解析依頼も受けているらしい。
法医学者とは凄いな。
世の中には知らないものがいっぱいある。
たくさんの「死」に音で対面したことのある村岡氏の感想が
本当に人の命はあっけない
なのだから、実際にそうなのだろう。
人の命というか、命というものはあっけないもの。
そこに感傷を持つのは生きているからだ。つまり、この色々考えたり感じているものが(はっきりいうと無駄で)生きているという証拠なのだろう。
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