二日目のスタートです。
今日の予定は、東日本大震災の遺構、伝承館の見学をして、ご飯を食べて帰る!
朝は日の出から。
うっすらと日がのぼり始めます。
アップにしてみます。
太陽が現れ始めて、
海面にも映り始めます。
日の出です。この日で6時45分くらいだったかな。冬至が近づいて間も無く1日で1番日が短い日がきますね。
朝風呂からの朝ごはんも盛り沢山。朝からお刺身とは豪勢でした。
準備をして、大谷海岸からBRTに乗ります。乗るって言ってもお隣までなんですけどね。
お隣の陸前階上は、駅舎がそのまま残ってます。
もちろん立ち入り禁止なので近くで撮ることはできなかったんですが、そのまま残ってる感じです。
駅名標もそのまま残ってます。コンクリートではなく、砂利ですけどね。
本当に線路があったところに専用道があるんですね。
ちなみに元々の駅舎をそのまま待合室として使ってます。
陸前階上駅から15分ほど歩くと今日の目的地、東日本大震災遺構・伝承館が見えてきます。遠くからでも分かるぐらい周りには建物がありません。
外には散乱された建物跡があります。
元々は高校だったみたいです。外から見るとそこまで壊されてる感じはしません。
でも、よくよく見ると一階は窓がない状態で、中もかなり荒れてます。
外装が流されたみたいです。
きれいに整備されてます。
エントランス。去年の3月10日に開館になったそうです。
エントランス入ってまずは映像を見ます。具合の悪くなる方はお申し出ください。と言う注意事項の後映像が始まります。当時の様子が映し出されます。
実は僕も東日本大震災の映像あまり見れないんです。当時、ニュースで流れてる映像に衝撃を受けましたが、見ているうちに現実から目を背けちゃうんです。自分の知らない世界であったことを受け入れることが出来ずにいて、自分がその状況になったらとか、自分が出来ることから目を背けてしまうんです。目を背けちゃいけないんですけどね。
映像を見た後写真を見て、現地へ。
一階はかなりの被害です。津波の力の強さを思い知ります。天井も含めて被害の大きさを知ります。
元々は保健室だったそうです。
三階に上がると、流木がありました。
三階に流れ着いた車。車を運ぶ事もそうですが、ベランダを突き破って、屋内まで車を運ぶ力。
三階の校舎の様子。加工工場が流れてきてぶつかった後という事です。
4階のレターケース。錆びているところまで津波が来たという事です。4階の高さまで来たんですね。
教室の入り口の扉も津波がどこまで来たか分かります。
屋上に上がり、周りを見渡すと行きに見た建物は体育館だったということが分かりました。天井はながされてしまったということです。屋上で避難して一晩過ごした人もいたそうです。
海の方を見ると何もありません。東北地方でよく見る光景です。
工場が流れてきてぶつかった跡です。正面からぶつからなかったのが幸いでした。正面からぶつかっていたら避難していた人も犠牲になってたかもしれませんね。
体育館を下から見るとこんな感じです。
建物の間には折り重なるような車の残骸があります。津波の威力を思い知ります。
この後はまた写真と映像を見ました。
階上中学校で大震災の後、10日後に行われた卒業式での答辞に心を打たれました。「天が与えた試練と言うにはむごすぎる。…略…苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です。」とありました。ぐぐると動画も出てきます。
僕達はどこかで忘れかけている東日本大震災。改めて考えさせてくれました。
伝承館出て陸前階上まで戻るときタクシーがいたので乗ろうとしたのですが、そのタクシーは、予約車と言うことで乗れませんでした。次のバスが近づいていた事もあり、走っていると先程のタクシーが「乗りな」ときてくれました。予約している所に電話をして、まだ時間があると確認をした上で乗せてくれました。ありがたかったです。逃すと1時間待ちぼうけになる所でした。助かりました。
次のバスにはUSBの電源がついてました。長い時間乗るので助かります。
次は志津川にある南三陸さんさん商店街でキラキラ丼をいただきました。
ここは毎年お邪魔してます。冬はいくら丼。
水タコの刺身も。
あと、たこしゅうまいなるものも。
当然こいつも!
どれも美味しゅうございました。
志津川から前谷地駅行きのバスに乗ります。実は柳津から鉄路はあるんですが柳津から前谷地はBRTも通ってるんです。1時間ちょっとで到着!気仙沼から前谷地までのバス旅終了!
前谷地駅に到着。
田舎の鉄路!
ワンマンカー到着!いやはや鉄道って優秀!あっという間に、小牛田経由、仙台着!
仙台ではいつものところで牛タン!
山芋の漬物と
牛タンのしゃぶしゃぶ
帰りはこまちで。
楽しかった一泊二日の旅。あっという間に終わっちゃいました。
今回東日本大震災の被災地を見に行くと言う一つの目的を同僚は持ってました。まだまだ復興までの道のりは遠いです。と言うのも、三陸海岸はまだまだ護岸工事だらけです。僕に出来るのはお金を落とすくらいなのですが、それも一つの協力だと思ってます。