映画『東京裁判』を観た。
極東国際軍事裁判を、日本が戦争に突入していく過程の映像とともに描いたドキュメンタリーである。
軽い気持ちで見始めたのだが、朝の6時から10時40分まで、食い入るように観てしまった。
印象に残った点をいくつか。
まず、開廷早々の管轄権問題でアメリカのブレイクニー弁護人が行なった弁論。
「国際法に戦争に関する法規があることから、戦争は犯罪ではない」
「これまでに戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」
「国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである」
「原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」
次に、国家の自衛権と侵略との線引きの問題。
アメリカの検事の一人(名前は失念)が、アメリカによる日本に対する全面的経済封鎖に触れて、「その状況に於いて日本が戦争に踏み切る決断をしたのはやむを得ない判断であった」としつつも、「被告人たちがその責任において下した決断ゆえにその責任を負うことは免れ得ない」と論じたところ。
もう一つ、訴因の中にノモンハン事件があったこと。
国家間ですでに協定が結ばれて決着したことが訴因に挙げられていることの奇妙さ。
国際法に則っての裁判であるはずなのに、これはどうしたことか。
日ソ中立条約を一方的に破棄して終戦のわずか1週間前に侵攻してきたソ連は国際法に則って罪に問われないのか。
そして最後にインドのパール判事の意見書。
「"平和に対する罪"と"人道に対する罪"は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反する」として、被告全員の無罪を主張。
"人道に対する罪"
ナチス・ドイツを裁くために新たに持ち出された概念だが、無辜の市民を虐殺した東京大空襲、広島・長崎への原爆投下こそこれに該当するとは考えないのか。
25人の被告のうち、東條英機ら7人に絞首刑の判決がくだされた。
"勝てば官軍"とはよく言ったものだ。
ひとつ「賢く」なりました。
僕は「むこ」の「こ」の字は書けません(笑)