仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

20110625 父の命日

2011-06-26 02:06:02 | 日々雜感
6月25日は父の命日。

これまでにも、父の命日に徒然なる思ひを書いてゐる。

2010年6月25日「父の命日」
2009年6月25日「父の命日」
2008年6月25日「亡父の命日」
2007年6月25日「祥月命日」

かうして振り返つて見ると、父について書いてゐるのは私が「うつ」になつてからだといふことに氣づいた。
それまでは、あまりに忙しく、父との關係を見つめる餘裕がなかつたのかもしれない。
「企業戰士」といふ言葉の虚しさにあらためて氣づかされた氣がする。

ここ數ヵ月、學生時代の手帳に書かれてゐることを基に當時を振り返つてゐる。
私にとつては、ひとつの區切をつける作業である。
そのなかに6月25日の記載もある。
【昔の手帳から】6月25日(1980年、1981年、1983年)
これを見ると、亡くなつた年とその3年後とでは、私の父に對する視線がだいぶ變つてゐることがわかる。

で、いまはどうかといふと、私は父の死んだ年齡にあと3年までに近づいてゐて、かつての青年の潔癖さから遠く離れたところにゐる。
そして、自分の中には父の血が流れてゐるのだといふことを否應なしに自覺してゐる。
あれほど嫌つてゐた父と、或る部分に於いてはイヤになるほど似てゐる自分。
父を否定することは自分を否定することだといふことに氣づきつつも、それでも父を否定することで自分のアイデンティティを守らうとしてゐる自分。
そろそろ、そんな自分自身を否定せざるを得なくなりつつある。
父の死んだ年齡まであと3年。
せめて、その年齡だけは更新したいと思つてゐる。

ただひとつ殘念だつたのは、父が死んだのは私が20歳になる少し前で、父と酒を酌み交すことがなかつたこと。
もし一緒に酒を飮んでゐたら、少しは父と解り合へることもあつたかもしれない。
もちろん、毆り合ひになつてコテンパンにのされるリスクもあつたけれど。





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