【1980年】(1囘生)
バイト ¥2,240
歸りに事故。 バイクの前部大破!
火曜日。
この日は、午前中は小雪が降つてゐたので、ひる過ぎから鞍馬へバイトに出かけた。
19時頃、また雪が降り始めた。
雪が積ると單車で歸れなくなるので、一緒に働いてゐるオバチャンたちが、はよ歸り、と云つてくれた。
私はその言葉に甘えて、歸ることにした。
既にあたりは眞つ暗で、ヘッドライトに照された丸い範圍に雪が白く光つては顏にぶつかつて來た。
鞍馬から下る道は曲がりくねつてゐる。
單車のライトは照射範圍が狹いので、道が曲がる方向を照すことが出來ない。
なので、私は十分に注意して走つてゐるつもりだつた。
しかし・・・
大きなカーブは愼重にクリアしたにも關らず、 進行方向から30度ほどしか曲がつてゐないカーブ に突つ込んでしまつた。
道が曲がつてゐることに氣づかぬうちのアッといふ間の出來事で、單車は山に突つ込み、私のからだは道に投げ出された。
柔道の一本背負ひで投げられたやうに、頭から1廻轉して背中から落ちた。
不思議なことに、スローモーション・ヴィデオのやうにゆつくりと感じられた。
仰向けで倒れてゐる私の上に、空から雪が舞ひ降りて來た。
しばし呆然としてゐたが、からだが動くか確かめてみた。
手も足も動くし、どうやら大きな怪我もしてゐないやうだ。
このまま寢てゐたら、いくら交通量の少ない道とはいへ、クルマに轢かれてしまふかもしれない。
私はのろのろと立上がつて、單車に近寄つた。
單車は、前輪が右に曲がり、フロントフォークが眞ん中から折れて、エンジンにくつつくやうになつてゐた。
もちろん、このままでは走ることは出來ない。
幸ひなことに、單車は道から外れてゐたので、道路を塞いでゐない。
後續車(いまだに來ないが)が單車にぶつかる心配はなささうだ。
さて、どうしよう・・・
と云つても、私に出來ることは殆ど無い。
鞍馬のバイト先に戻つて、單車屋に電話をさせて貰ふといふのが、現實的な手立てだらう。
私はとにかく鞍馬に向つて歩き出した。
この頃になると、やうやくからだの痛みがわかるやうになつてきた。
右手、左肘のあたり、尻、左膝、右足首・・・
尻以降の部位の痛みで、歩くのは少々不自由だつた。
とぼとぼと歩いてゐたら、後ろからライトが近づいて來た。
私は振り向いて、手を大きく振り囘した。
恐らく、この道を人が歩いてゐるのは珍しいことだつたのだらう。
それも、雪の降る夜となれば尚更だ。
ありがたいことに、その車は止まつてくれた。
事情を話して、バイト先の 「京・くらま 林」 まで送つて貰つた。
「京・くらま 林」は私が住んでゐるアパートの大家さんの實家だつた。
大家さんのご兩親は、戻つて來た私の姿を見て驚いた。
事故を起こしたことを聞いて、
「うちに働きに來て事故を起こしてしまつたのだから、出來るだけのことはする」
と云つてくれた。
單車屋に電話をかけて、單車を囘收し、私を車でアパートまで送つてくれた。
しかも、修理代の手付金まで立て替へてくれて・・・
大家さんと大家さんのご兩親にはいくら感謝しても感謝し足りない。
結局、修理代は16萬ほどだつた。
金がないからバイトを始めたのに、借金を作つてしまつた。
アパートの友人たちは私のこの悲劇に同情してくれたが、その顏には笑ひが貼付いてゐた。
【1981年】(2囘生)
雪
水曜日。
前夜からの雪は、朝になつてもまだ降つてゐた。
岩倉の冬は寒い・・・
【1982年】(3囘生)
「日本文學の古典」讀了
「詩への架橋」讀了
木曜日。
を、國文學專攻らしい本を讀んでゐる。
あ、でも、この年はまだ社會學專攻だつた。
【1983年】(4囘生)
"Cut Hair" by Maeda
金曜日。
マエダはアパートの後輩。
元美容師で、當時は京コンでコンピュータを學んでゐた。
彼が散髮してくれるお蔭で、私は床屋に行かなくてもよくなつた。
バイト ¥2,240
歸りに事故。 バイクの前部大破!
火曜日。
この日は、午前中は小雪が降つてゐたので、ひる過ぎから鞍馬へバイトに出かけた。
19時頃、また雪が降り始めた。
雪が積ると單車で歸れなくなるので、一緒に働いてゐるオバチャンたちが、はよ歸り、と云つてくれた。
私はその言葉に甘えて、歸ることにした。
既にあたりは眞つ暗で、ヘッドライトに照された丸い範圍に雪が白く光つては顏にぶつかつて來た。
鞍馬から下る道は曲がりくねつてゐる。
單車のライトは照射範圍が狹いので、道が曲がる方向を照すことが出來ない。
なので、私は十分に注意して走つてゐるつもりだつた。
しかし・・・
大きなカーブは愼重にクリアしたにも關らず、 進行方向から30度ほどしか曲がつてゐないカーブ に突つ込んでしまつた。
道が曲がつてゐることに氣づかぬうちのアッといふ間の出來事で、單車は山に突つ込み、私のからだは道に投げ出された。
柔道の一本背負ひで投げられたやうに、頭から1廻轉して背中から落ちた。
不思議なことに、スローモーション・ヴィデオのやうにゆつくりと感じられた。
仰向けで倒れてゐる私の上に、空から雪が舞ひ降りて來た。
しばし呆然としてゐたが、からだが動くか確かめてみた。
手も足も動くし、どうやら大きな怪我もしてゐないやうだ。
このまま寢てゐたら、いくら交通量の少ない道とはいへ、クルマに轢かれてしまふかもしれない。
私はのろのろと立上がつて、單車に近寄つた。
單車は、前輪が右に曲がり、フロントフォークが眞ん中から折れて、エンジンにくつつくやうになつてゐた。
もちろん、このままでは走ることは出來ない。
幸ひなことに、單車は道から外れてゐたので、道路を塞いでゐない。
後續車(いまだに來ないが)が單車にぶつかる心配はなささうだ。
さて、どうしよう・・・
と云つても、私に出來ることは殆ど無い。
鞍馬のバイト先に戻つて、單車屋に電話をさせて貰ふといふのが、現實的な手立てだらう。
私はとにかく鞍馬に向つて歩き出した。
この頃になると、やうやくからだの痛みがわかるやうになつてきた。
右手、左肘のあたり、尻、左膝、右足首・・・
尻以降の部位の痛みで、歩くのは少々不自由だつた。
とぼとぼと歩いてゐたら、後ろからライトが近づいて來た。
私は振り向いて、手を大きく振り囘した。
恐らく、この道を人が歩いてゐるのは珍しいことだつたのだらう。
それも、雪の降る夜となれば尚更だ。
ありがたいことに、その車は止まつてくれた。
事情を話して、バイト先の 「京・くらま 林」 まで送つて貰つた。
「京・くらま 林」は私が住んでゐるアパートの大家さんの實家だつた。
大家さんのご兩親は、戻つて來た私の姿を見て驚いた。
事故を起こしたことを聞いて、
「うちに働きに來て事故を起こしてしまつたのだから、出來るだけのことはする」
と云つてくれた。
單車屋に電話をかけて、單車を囘收し、私を車でアパートまで送つてくれた。
しかも、修理代の手付金まで立て替へてくれて・・・
大家さんと大家さんのご兩親にはいくら感謝しても感謝し足りない。
結局、修理代は16萬ほどだつた。
金がないからバイトを始めたのに、借金を作つてしまつた。
アパートの友人たちは私のこの悲劇に同情してくれたが、その顏には笑ひが貼付いてゐた。
【1981年】(2囘生)
雪
水曜日。
前夜からの雪は、朝になつてもまだ降つてゐた。
岩倉の冬は寒い・・・
【1982年】(3囘生)
「日本文學の古典」讀了
「詩への架橋」讀了
木曜日。
を、國文學專攻らしい本を讀んでゐる。
あ、でも、この年はまだ社會學專攻だつた。
![]() | 日本文学の古典 第2版 (岩波新書 青版 586) |
西郷 信綱 | |
岩波書店 |
![]() | 詩への架橋 (1977年) (岩波新書) |
大岡 信 | |
岩波書店 |
【1983年】(4囘生)
"Cut Hair" by Maeda
金曜日。
マエダはアパートの後輩。
元美容師で、當時は京コンでコンピュータを學んでゐた。
彼が散髮してくれるお蔭で、私は床屋に行かなくてもよくなつた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます