
<卒業旅行の説明>
ぼくが大学を5年がかりで卒業したのは1985年のことでした。
高校、大学と一緒で、バイトも同じ塾で講師や塾の運営をしていた友人と卒業旅行に行きました。
ルートは府県名だけ記すと、
京都~(大阪~)兵庫~徳島~香川~徳島~高知~愛媛~大分~熊本~宮崎~鹿児島~熊本~長崎~佐賀~福岡~山口~(広島~岡山~兵庫~大阪~)京都
です。()内は高速道路で通過しただけ。
この旅行は、全行程を車で移動しました。
ホテルや旅館に宿泊せず、すべてテントとシュラフで通しました。
泊まった場所は、基本的に無人駅の構内です。
最終列車(無人駅は結構早い)から始発列車までの間、駅舎のなかでテントを張っていました。
<写真の説明>
前日は京都から屋島まで来て、たぶん近くの無人駅か公園で一泊。
そして、2日目のこの日は 栗林公園 と 丸亀城 に行き、そのあとあの 金毘羅さん(金刀比羅宮) へ行きました。
金毘羅さんといえば、思い出すのが2つあって、ひとつはあの歌。
♪こんぴらふねふね 追い手に帆かけて しゅらしゅしゅしゅ♪
お座敷遊びの定番らしい。
ぼくはぢき還暦だけど、残念ながら経験したことがない。
で、もうひとつはというと、長いながい石段。
奥社まで1365段あるという。
高校時代に山岳部だったぼくは、かつて 土合駅 の階段(地下 ホームから地上の改札口まで、なんと486段!)を踏破していたが、金毘羅さまには到底かなわない。
石段の始まるあたりの参道で杖を借りて登り始めました。
ふうふう喘ぎながら登っていると、そばを駕籠がすいすいと。
話のネタに乗ってみようかという話もあったのだけど、もと山岳部の沽券にかかわると断固として拒否した。
それをなんど後悔したことか。
写真は奥社(たぶん)のベンチで撮った写真。
一見、涼しげな表情をしているけど、じつはバテバテでした。
隣に脱ぎ捨てられたセーターとブルゾン(ジャンパー)があるのは同行した友人のもの。
3月初旬なので、まだまだ寒い日もあったけれど、さすがにこの石段を登るには暑すぎた・・・
金毘羅さんのあとは、どこかでテント泊した筈だけれど、場所は覚えていない。
ただ覚えているのは、上の写真のベンチに書かれている「金稜」という日本酒を買ってテントの中で飲んだこと。
当時の日本酒としては旨いほうだったと思います。
でも、いまの日本酒の水準からすればたいしたことはなかったかも。
翌日は、 「祖谷のかずら橋」 へ。
(続く)
<卒業旅行 Index>
1. 屋島
2. 栗林公園
3. 丸亀城
涼しげなお顔をズームして見せていただきました(^-^)
確かに、上着が脱ぎ捨ててありますね。
テントの中でお酒を飲ませたのもいい思い出ですね。
あっ、いい物件見つかったようですね。
良かったです。
あとは、遠いので引っ越しが大変⁉︎
疲れた顔で写真を撮られるのがなんとなくイヤで、スカしてみました。
いい物件が見つかったのはシアワセなんですが、引越しと今の家の後かたずけを思うと憂鬱になるのです・・・。
「でんでんむし」のジャズバージョン、面白かった!
もう30年ぐらい前で、若かったからか、ふーふー言いながら、楽しかった印象があります。
良いところですよね♪
思い出話を読んでいると、楽しさ、懐かしさが溢れていますね♪
金刀比羅宮の参拝の後には、いきなり祖谷のかずら橋に向かったのですね。
たぶん、ナビもない時代に、大歩危・小歩危からの最後のアプローチは難儀したのではないかと??
いきなり吉野川上流の平家の落人集落に向かわれたのですな。
当時はカーナビがなかったので、ぼくが助手席で地図を首っ引きで調べてナビしてました。
かずら橋はいまよりも歩くところの横木(桟?)が少なくて、足元から下の渓流が素通しで見えていたように思います。
かなり揺れたのを覚えています。