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仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 4月29日 (80年:「影武者」、81年:圓山公園、83年:金澤へ)

2011-04-29 00:27:25 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

「影武者」を觀る
HよりTel (5月18日に逢へる豫定)
阪神、江川に完封負け。島野のアホ!


黒澤明監督の 「影武者」
主役はもともと勝新太郎だつたのだが、途中で 仲代達也 に變つた。
私は仲代達也は好きな役者なのだが、この作品に關して云へば「臭い」氣がした。
いちいち演技が大袈裟なのだ。
舞臺俳優はおほむねさういつた特徴があるが、仲代達也は映畫やTVドラマでは臭みを抑へられる役者だと思つてゐる。
この作品での「臭み」は黒澤の指示によるものだつたのかもしれない。
ともあれ、私はこの作品が退屈だつた。
鐵砲に撃たれる馬のシーンがしつこいほど繰り返されるのに閉口した記憶がある。

20日に逢つて以來、Hから初めての電話。
いまから思へば、中8日も電話をしない間柄を、世間は戀人同士とは云はないよなあ・・・
自分からかければよいではないかといふ聲も聞えてくるが、アパートの電話はピンク電話で10円玉しか使へず、10円玉が溜つてしまふと通話の途中で切れてしまふといふシロモノだつたのだ。
ま、所詮、言ひ譯に過ぎないのだが。
ともあれ、この電話で、5月18日に逢へることになつた。
あと20日も逢へないけれど、それでも逢へることが決まつただけで嬉しかつた。

讀賣に負けると、今も昔も腹がたつ。
ましてや、あの「空白の1日」の江川に完封負けなんて。
島野は、後年名コーチとして名をはせた島野氏のこと。
現役時代の彼は、代走として使はれることが多かつたが、走壘ミスでチャンスを潰すこともしばしばあつた。
この日も、さういつたチョンボをやらかしたのだらう。




【1981年】(2囘生)

圓山公園(with モギ、イノマタ)
池坊の女の子たちとコンタクト


モギはC高の同級生で、イノマタはモギの友人でモギと同じ建築學科。
3人で圓山公園に行つたのは、この日が祝日だつたので遊びにくる女の子も多からうと考へたから。
コンタクトなんて言葉を使つてゐるが、要するにナンパである。
さういへば、池坊短大の女の子とお知合ひになつたなあ、と朧げに思ひだす。
若いつて、いいなあ。




【1983年】(4囘生)

ホサカの車で金澤へ クソ暑し!


ホサカは同じアパートの住人で、同志社の4囘生。
金澤にはC高山岳部の同期のイチハラがゐる。
彼は金澤大の醫學部の學生で、私は彼と白山に登る計畫を立ててゐた。
1980年にも白山に登らうとしたのだが、その時は私がバテてしまひ頂上まで登れなかつたので、再挑戰といふわけだ。
その話をしたら、ホサカが自分も金澤に行きたいと云ひだした。
イチハラにその旨を云つたところ、アパートに泊めてくれるといふので、ホサカの車で出かけた。
で、この時の金澤は信じられないほど暑かつた。
いはゆるフェーン現象で、氣温は30度を超えてゐた。
長袖のシャツを着てゐたので、袖を捲り上げてなんとかしのいだ。








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