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仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 7月25日 (79年:恐怖の一夜)

2011-07-25 00:17:40 | 昔の手帳から
【1979年】(浪人)

池ノ岳鞍部サイト ~ 白澤清水サイト。

水曜日。
手帳に記載されてゐるのは上記の通りだが、實際は下記の通りだと思はれる。(*)
つまり手帳の記載より1日遲れの状態。
24日:オホコ澤出合~平ヶ岳~池ノ岳鞍部サイト C3

24日は、朝から雨模樣。
ただ、小雨が降り續く状態だつたので、澤が増水する危險は少なかつた。
地形圖によると オホコ澤出合 は標高1390m。
そこから標高差にして100mほど、距離にして2kmほどの間、澤は屈曲してゐる。
大きな瀧やゴルジュはないのだが、1ヵ所高卷を強ひられるところがあつた。
雨でぬかるんだ草付で、足元が滑り易くなつてをり、嫌な高卷だつた。
ザイルを出して確保しようにも、ビレイの支點になるやうなしつかりした岩や大きな樹木がない。
ひとりひとりが愼重に行動するしかない。
ここで、誰も滑落しなかつたのは幸運だつたと思ふ。
標高1800m地點 で澤から離れ、左手の台倉尾根に突き上げた。
尾根に出たところで激しい雷雨。
雷雨が止むのを待つてゐるうちに時刻は16時になり、氣象係はラジオで氣象通報を聞いてアバウトな天氣圖を作成。
どうやら前線が眞上を通つてゐるやうな状況だつた。
山では15時までに行動を終へてゐるのが常識。
この日の行動はさうした意味で、常識破りではあつた。
天氣圖の作成が終はり、雷雨が通り過ぎたところで、 池ノ岳 を經由して 平ヶ岳山頂 へ。
私にとつては、前年の夏山合宿以來、1年ぶりの平ヶ岳だつたが、今囘は天氣も惡く夕闇も迫りつつあつたので、懷かしさに浸る間もなく早々に退散。
平ヶ岳の頂上から標高にして100mほど下り、池ノ岳の手前、 平ヶ岳澤の源頭附近 の平地にテントを張つた。
ここでテントを張つたことに、我々は死ぬほど後悔することになるのだつた。

(*)追記
27日の記載(阪神の小林が讀賣を2安打完封)は27日の出來事であることが確認できた。
その日に歸宅してゐるのは確かなので、そこから逆算するとやはり手帳に記載された行程が正しいやうだ。

25日:池ノ岳鞍部サイト ~ 白澤清水サイト。

日付が變つた頃、とんでもない雷雨に襲はれた。
その詳細については、 既に 5月31日の日記 に書いてゐるので、そちらから一部引用する。

・・・・・・・・・・以下、5月31日の日記より引用・・・・・・・・・・

(前略)
山登りをする際に山頂近くの平地にテントを張るのはそもそも無謀なのである。
雷が落ちるのは地上から突出してゐるところ(そこから放電する)なわけで、頂上近くの平地にテントを張れば、そのテントこそが「地上から突出してゐるところ」になつてしまふ。
つまり、私たちのテントは、まさにいつ雷が落ちても不思議のない状況にあつたのである。
落雷地點(放電地點)までの距離を測る方法として、稻妻が光つてから雷鳴が轟くまでの時間差で測る方法がある
その方法で云へば、稻妻が光つてから雷鳴が轟くまで3秒以内だと1km以内の地點で落雷してゐるので危險だといふことになる。
ところが、あの時の私たちの状況ではその方法は使へなかつた。
なにしろ、稻妻は光り續け、雷鳴は轟き續けるものだから、どの稻光とどの雷鳴が對應するのかまるでわからない。
それどころか、眞夜中だといふのにテントの外は薄紫色といふかピンク色といふか、そんな色で空が明るくなつてゐるし、何十連發もの打ち上げ花火の音のやうに重たい音が響き續けてゐた。
テントの中で眠つてゐた私たちはみんな起き出してゐた。
私は髮の毛はともかくとして、腕の産毛が逆立つてゐるやうな氣がした。
もしかすると、私たちは雷のまつただなかにゐて、私たちのからだにも帶電してゐたのかもしれない。
こんな状況で眠れる譯もなく、ひたすら雷雨が止むのを祈つてゐた。
すると、私のゐるテントの端のはうから聞えて來たのだつた。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ・・・」
そちらを見ると2年のヌマタが俯いてブツブツ云つてゐる。
さうか、彼は淨土宗だか淨土眞宗だかの信者だつたのか。
彼の念佛のお蔭か、我々は無事に朝を迎へることが出來た。
ちなみに翌朝訊いたらヌマタはこのことを覺えてゐなかつた。
(引用終了)

午前3時頃になり、やうやく雷雨がやんだ。
山では食糧當番が3時前に起き、そのほかの者も4時までには起きるのが普通だ。
この日は、普段なら起きる頃に雷雨がやんだわけだ。
もちろん、全員が睡眠不足。
當然のことながら、まともに行動できる筈もなく・・・
台倉尾根の半ばにある白澤清水でテントを張つた。




【1980年】(1囘生)

11:00 千葉驛 (エノサワ、ヨシヤマ)
持つべきものは友か

金曜日。
エノサワとヨシヤマは高校の同級生。
午前中に千葉驛で待ち合せをしてゐるが、ひるまに何をしてゐたかまるで覺えてゐない。
夜は驛の裏手にある居酒屋で飮んだ。
この居酒屋はもつ煮込みが旨い店で、これから先も何度か飮みに行つた。
この日は失戀して2ヵ月、父が死んで1ヵ月目の日。
たぶん、また不安定な精神状態だつたのだと思ふ。
さうした状態にある私を彼らは救つてくれた。
ほんの小さなことがとても嬉しい時があるものだ。



【1981年】(2囘生)

家庭教師

土曜日。
枚方の塾生の兄、中3のサカイくんの家庭教師。
英語を教へてゐたが、もともとのレベルが低かつただけに、彼にとつても私にとつてもチャレンジャブルなミッションであつた。
この年は、前日で枚方での夏季講習の授業はお終ひ。



【1983年】(4囘生)

13:00~21:00 夏季講習(枚方)
3A國、1B國

月曜日。
枚方の夏季講習の4日目。








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