『明治文学小説大全』 (全50篇)より
7月25日
『虞美人草』 夏目漱石
明治40年(1907年)
再読。高校時代に読んで以来。
言文一致体だが、地の文は漢語が多く、当時の教養であれば理解も容易いのかもしれないが、ぼくには難し過ぎる。
登場人物が読み進めていくうちに増えてゆき、名前や地位、性格などの属性が次第に明らかになってゆくのが面白い。
それぞれのキャラクター設定が対照的。
男性。甲野は哲学者、宗近は外交員志望、小野は博士論文を書いて出世しようとする現実家。
女性。藤尾は甲野の血のつながらない妹でハイカラな女性。糸子は宗近の妹で甲野に惹かれている。小夜子は小野の師匠の娘で小野と結婚するものと思っている。
小野は小夜子と結婚すると云うはっきりとした約束はしていないとして、藤尾との結婚を望んでいる。
甲野は家を継ぐ気がないので、その場合は藤尾が婿を迎えることになるのだが、婿になれば甲野家の家も財産も継ぐことになる。そのためには小夜子との結婚をはっきりと断らなければならないのが小野。
この男があかんたれなわけだが、藤尾が悪女の如く描かれていて、最後には死んでしまう。今の世ならざらにいる女なのに、明治時代にはとんでもない存在だったのだろうか?
宗近とその妹の糸子は逆に今の世には絶滅危惧種かもしれない。
7月31日
『平凡』 二葉亭四迷
明治40年(1907年)
初読。
読みやすい言文一致体。
自然主義文学のパロディ?
二葉亭四迷が夜店で手に入れた小説と云う体裁。
タイトルの『平凡』は、このような人生は平凡だからと云うことになっているけれど、いやいやどうして、平凡とは云えなかろう。
文学かぶれの若者が普通のオッサンになる過程って、平凡かね?
明治の若者なら平凡だったのかな?
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