先日信濃日報の記事を載せたが、
今日4日に長野日報から同様の記事が出た。
見つけた僕も中身をよく読む暇もなく
通常であれば表紙や中身をパソコンに取り込んでおくのだが
そうする事をすることも出先では出来ず、
少しでも早くと、岩波氏に渡してしまったので
いま少し残念に思っている。
ただこの会誌が残っていて、この時期見つかったことに意味を感じるとともに、
これからをどう生きていくのかという若者たちの熱気が
この土地に脈々とあったということがすばらしいことだと思う。
父もその発端の最前線にいたのだと思うと、
それはそれで震えが来るほどの思いに駆られる。