古い文献に、などというと「おっ!」と思うが
僕の手元にあるのは、大正六年の信陽新聞の切り抜きである。
ここに特集が組まれ、僕の家の歴史が書かれている。
僕の高祖父『彌平治』という人の事が書いてある。
その中に我が家の屋敷神についての記述がある。
【又 守矢氏の屋敷(やしき)神(かみ)を鹿(しか)乙(おと)明神(みょうじん)と呼べるが
其(その)祭神(さいじん)を詳(つまびら)かにせざれどそのみ贄(にえ)の鹿(しか)に関係あるは
推考(すいこう)するに難(かた)からず。
鎌倉時代の上社の諷物(もの)『諸神(しょしん)勧(かん)請段(だん)』ちうにも
所載(しょさい)あれば其(その)由緒(ゆいしょ)の古きを證(しょう)すべし。】
韻を踏んだ唱がその後に続いている。
古い写真を整理しているときに、それらしい祠の写真を見つけた。
この手の事で世話になっている方に知らせると、早速ホームページに掲載されていた。
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/sikaoto.htm (ご覧ください)
昇り旗は(初午)となっているので、どうも稲荷を祀っているような感じ?
商売をやっていたこともあり、そういった風習があったのだろうと漠然と思った。
ただこの土地には〇〇牧といって、同じ系譜を持つ苗字の集まりがあったと記憶している。
それの牧の集まりが、初午だったように覚えている。
上社には神馬の対の像もある。それがどう繋がるのかはわからないが、興味のあることではある。
いずれにしろ、我が家の屋敷神が祀られているのは天狗山。
僕はその場所に行ったこともないのだが、行ってみたいと思う。