吾が見る先に(agamirusakini)

自分が見る先には何があるのだろうと思う事が多くなってきた。振り返りながら、自分の道を探しながら歩いていきたいと思う。

峠入口バス停脇

2015年08月18日 | Weblog

茅野から前宮前・高部を通り・守矢資料館を過ぎて

西沢川を渡ると、峠入口のバス停がある。

余談ではあるが、僕の小さい頃西沢川は《天井川》と呼ばれていた。

今は工事をして低くしてしまったが、昔は道路の上を川が流れていたのだ。

残念ながらその写真を探したが無いので、何とも歯がゆい。

御柱の時の写真に、その橋の上から見物する人たちが見えるものがあったような・・。

県道であるこの道は年々交通量が増え、大型のトラックなどが通るのに

ぎりぎりになったので壊されて、改修されたとか・・。

よくこの土手に登って、イタドリやグミ(桑の実)・土筆や芹・よもぎ等を

取りにいったものだ。そんな懐かしいものは今はほとんどない。

          そろそろ本題に戻ろう。

そのバス停の脇に、新しい塀と土留めの石が積まれている。

そこに、道路に向かって碑が建っている。

これは先日高祖父彌平治に関係するもので、《守矢翁頌徳碑》という。

           彌平治は鹿乙として鹿肉納入最後の人であったという。

  浄瑠璃曲をよくやって、門人も300人余りいたそうである。

その彌平治が七十歳の時、門人たちがこの碑を建てその徳をたたえたそうである。

末尾にあるように、撰文は小川平吉(政治家で曽祖父がこの人の秘書をしていた)。

書は中村不折(洋画家であり書家である。そして祖母の叔父にあたる)が書いている。

よく拓本を取りに来る人が絶えなかったようだ。

親父たちが夏帰ると、学生らしき人が拓本をとらせてほしいと来たという。

しばらく敷地の中にあったが、これも一里塚と同様修復していただけてある。

不折氏の字を使って彫られたものは、我が家にはいくつもあるが。

  ぼくの大好きな文字は《天壌無窮》。これは僕の祖父が彫ったものだが、

 ー 天地とともに永遠に極まりなく続く様 ーなんとも雄大な言葉だと思う。

なんとも、その道の凄い人たちがこの場所で生きていたと思うと、

             感動を覚えざるを得ない。

来年は御柱祭がある。前宮から上社本社への道にあるので、機会があればご覧ください。