写真を整理しながら、戦後を考えていた。
ブログやホームページでも掲載しているが、
僕の父は昭和20年5月25日渋谷で空襲を経験し、
8月5日にあの湯の花トンネル列車銃撃事件にも遭遇している。
湯の花トンネルでは寸でのところで、生き残る事が出来たという。
写真は慰問袋づくりをしている祖母をはじめとした、
中洲村の愛国婦人会の人たちの様子を写したものである。
皆どんな思いでいたのであろう・・・。何かの資料になればいいと思っている。
僕の叔父も特攻隊に志願し、訓練を受けたが特攻当日に終戦となり
中洲に帰ったそうである。帰ってくるときは、恥ずかしくて
隠れるようにしてきたという話を聞いている。
そして軍隊での無理がたたったのか、25歳でこの世を去った。
なかなか素敵な叔父だったそうである。会ってみたかったと思う。
人生は時として残酷である・・・。