昨日はおかんの治療で
新宿のいつもの治療院へ
帰りがけに交差点に面白いものが止まっていた
ルパンの後ろには銭形警部
これじゃいつまでたっても、ルパンに追いつけないですね
斜め前だと迫力あります。
大阪ナンバーでしたが、何の宣伝だったのでしょう?
最近行って帰るだけですが、都会に行くので
結構面白い風景が目につきます
刺激的ですね
昨日はおかんの治療で
新宿のいつもの治療院へ
帰りがけに交差点に面白いものが止まっていた
ルパンの後ろには銭形警部
これじゃいつまでたっても、ルパンに追いつけないですね
斜め前だと迫力あります。
大阪ナンバーでしたが、何の宣伝だったのでしょう?
最近行って帰るだけですが、都会に行くので
結構面白い風景が目につきます
刺激的ですね
昨日のブログを読んだ
下諏訪に住む叔母からメール。
《萬世橋驛にあった広瀬中佐の銅像は、今靖国神社の遊就館にあるそうですよ。》
と 叔父さんから助言があったとのこと。
撤去されたという文章を見て、壊されたと思い込んでいた
中途半端な知識を恥じるばかり。
そういえば
2月2日に載せたスタンプの中に
靖国神社と遊就館のものがありました。
祖父か父が行って見ているのかもしれません。
と いうことで。若干の修正をさせていただきました
先日信濃日報の記事を載せたが、
今日4日に長野日報から同様の記事が出た。
見つけた僕も中身をよく読む暇もなく
通常であれば表紙や中身をパソコンに取り込んでおくのだが
そうする事をすることも出先では出来ず、
少しでも早くと、岩波氏に渡してしまったので
いま少し残念に思っている。
ただこの会誌が残っていて、この時期見つかったことに意味を感じるとともに、
これからをどう生きていくのかという若者たちの熱気が
この土地に脈々とあったということがすばらしいことだと思う。
父もその発端の最前線にいたのだと思うと、
それはそれで震えが来るほどの思いに駆られる。
駅スタンプから、無くなった駅のエピソードを。
萬世橋驛は、
東京都神田区(現在の千代田区)の神田駅とお茶の水駅の間にあった驛。
明治45年に営業を開始した時は大変豪華だったそうですが、
大正12年の関東大震災の時に駅舎は焼失、遺体安置所に使われたそうだ。
その後駅舎は簡素ながら作られたが、
神田駅・秋葉原駅と駅が出来るに従い、衰退してしまったらしい。
1943年に交通博物館部分を除き解体され、
駅前の銅像も太平洋戦争終結後に取り壊された。
訂正)銅像は取り壊されたのではなく、撤去され
今は靖国神社の遊就館にあるそうです。 2/5
その銅像だが、ホームページのはがき百景に掲載しているが
これが絵葉書に使われているその銅像になる。
交通博物館には良く行ったが、こんなエピソードのある場所とは
まったく知らなかった。
自分の無知を恥じるばかりである。
旧構内には中央線が走っていて、ホームの遺構は神田ーお茶の水間で
車窓から確認できるそうなので、是非今度通る時は気にしてみてください。
僕もそうするつもりです。
無くなった駅《萬世橋驛》のエピソードでした。
最近思うこと。
1.女房の体調不良(新しい治療を始めて・・)
2.自分の仕事探し(年金だけでは・・・)
3.確定申告(そろそろ相談開始)
4.次の家コン(ポスター作りとチラシづくり)
5.スノボとスキー(1回は行きたいな)
6.郷里の事(博物館に預けたものの整理)
7.母校の事(50年史に関連し)
8.種々雑多なものの整理
いままで仕事しながら、春から夏は海釣り・秋から冬にワカサギ釣り
真冬はスキーかスノボというアウトドアの中心の生活が、
家から出られない半分主夫のインドアの生活に変わり
若干ストレスが溜まっているところに、色々な出来事があって
それなりに楽しいこともあるのだけれど苦しいこともあって
人生なかなかうまくはいかないものだと痛感しているこの頃。
ただ父の残していった物を整理しながら
紹介していくのが、今はストレス解消の薬だと思ってますがね
今日は駅スタンプではなく、こんなスタンプを紹介します。
ホームページには載せないこんなスタンプはどうでしょう。
駅ではないのですが、とにかく観光地や記念のスタンプを
集めまくっているというかんじでしょうかね。
いろいろコマゴマと纏めることが出来ないくらいに、種々雑多。
整理しなければゴミになっちゃいますまあ楽しみながらやりましょ
ちょっと愚痴ってしまった今日のブログでした