前記事に書いた「びんぶんふり」のことをUPします。
<7月10日 お昼を食べてボーっと外を見てた時>
カミとは なしてなるものなり
ばんらいのいただきより 来たりしものなれど
つくわもの ずいしょに いでし。
とつに みえざる もののけありし。
これ いしずえの じゅうなり。
そもそも いずこよりきたりし おおがみなれど このちに あらず。
ほうらいの かなたより めでつものよ。
いんようの しくみ なわつかみ
まことのことじゃ。
そのよう なればこそ いでつ。
われこそ びんぶんふり かいておろうが。
この内容が理解できず、数日後に
東京から知人が来たので、彼(若いんです)にこれをひも解いてもらいました。
彼は不思議な人で、純粋な直感で行動するんです。
飄々として、「これは、なわをつなぐカミでビンブンフリというのかも」
「なわをつなぐと言うと、忌部、物部も同じ部族なんですが・・」
「実は僕も、忌部の血なんです」・・ビックリだ!
彼はネイティブインディアンやアイヌの人が使う口で反響させる
あれ?何という楽器か忘れたけど・・
それを金属で作るんです。
「そういえば、その音色「ビンブン、ビンブンって聴こえるね」
彼が「今日から これ、ビンブンフリって云います」
そして帰っていった。
つまり、ビンブンフリとは天と地(私たち?)をつなぐカミかも知れないということだった。
霊界といえば、そうかもしれないけれど
私は霊界も、神界も宇宙界も全ての次元につながっていて
切り離して 物事を知ることは偏ってしまうと思う。
闇も光も、すべてを知って はじめて自分はどうしたいかを
選択する。
嫌うという事は、それもひとつの「恐れ」でしょう。
まずは、「恐れ」ず 知ろうとすることから
目覚めるんじゃないだろうか。
ただ、視点をひとつに絞ると アクセスする次元によっては
「あれやれ!これやれ!」などと強要される。
まずそこで見極める事ができる。
幸いにも一度も強要されたことはない。
チャネリングの情報は、「動くかどうかは、自らが決めればよい」と上から云われた。
だから、自分で判断して動く時とそうでない時を見極めている。
俗に言うカルマの消化は、
「この世ではもういい。それに気を囚われてはいけない。
それよりもこれからののためにすべてを知ることです」と言われた記憶がある。
昨晩、眠りからむりやり起こした「ビンブンフリ」が
今朝話してくれた事は 感慨深い内容でもあった。
ダンナに話すと、納得していた。
明日その内容を 包み隠さず 書きます。
お付き合いありがとうございました。