今日の富士山(河口湖にて)
前記事の「びんぶんふり」という存在からの言霊(12月7日)
我はびんぶんふり
さしてなるものや。(我を)恐れるでない。
我の申す事 よおーく聞きなされ。
「すべからし」とは いかなるものも これ災いの本(もと)であるがごとく
すべてカミの御本(みもと)がなされる事。
<「すべからし」という言葉が前日からやたら思い浮かんでた経緯です>
誠なれど、天心のおもむくがまま よりそう御魂がなせる業。
この世のつくり事に よしすべくも とらわれいずる何事や、
いかに悲しき事であろう。
我とて 結び要らんと申しても
天の幕屋わにそむく事 あたいならん。
穂(豊受大神)の力とて この世 すべからん。
皆まよいあぐねるも べつものじゃ。
悲しむなかれ、世は世の世界ぞ。
まことの世界は いま在りて 騒がしゅうことよ。
<地球のことは?>・・少し過激ですが終焉を聞いてます。
まこと。まことなれど ただ待つのみと違うぞよ。
そなたの在るところ 心清くして
御本(みもと)へ いくことのみ おこなえばよい。
<どうすれば?>
まず、身を清め おこないは 天からふりそそぐものよ。
そこには 闇の入るすきまなし。
<なぜそう言えるのですか?>
すべからく 御本癒しでであるからして 償いをおこせば
闇恐れ、改心しうる事。
闇とて 大本の御魂ぞ。御魂ふるいをさすれば
とうの昔に いつくし もらいあげたに。
それも 我の・・・(悔しそうに)不しょうにて ああ、なげかわしや。
<そんなに(自分を)責めないでください>
そうよのう。仕方あるまい。
ただ一輪の花のごとく 咲きほこりとて
いずれは多くの花をつけるぞ。
さまようてはならぬ。めぐみはいつか咲きほこり
この世 有る無しとて 御魂のいきつく サンザシよ。
<どうすれば?>
遠出は すぐに参るでな。
<死ぬという事?>
いや、それも御魂清め次第。
そは なんとする?
<身体を持って、半霊半物質で行きたいです、皆を連れて>
そうか、それでよい。
そのこころねが すべてはかどり
遠出の一歩になるじゃろう。
清め、清めて 尽くしなされ。
<具体的に清めるとは?生活の中で>
そは 楽しきこと好きか?和合もってしかるに。
そは 早馬のごとき動けるか?御本つなぐでな。
そは なにも欲しがらぬか?我のおもむくままに欲するか?
そは 食することの大切さを こころして感じとれるか?
そは いざない あゆみを 知るか?
身と魂(たま)では 欲するところ違えど
ここに在るは 間違いなし。
身は 御魂で動けよ。
御魂は 身をつなげよ。
身と魂は ひとつのものよ。
さすれば 疑いなしに おもむくまま
恐れをぬけて 動けばよい。
<○○は?>ここでダンナの事を聞く。
身が傾くことの もどかしさゆえ 苦しみあぐねど
御魂の力はかりしれぬ。
まあ、みておれ。それもこれも わが身の守護のおかげじゃ。
じゃが、これを知り 御魂を知ることの大切さが解りつつある。
たもして 無限実行じゃ。
ひきづられよう、御魂は強し。心配いらぬわ。
最後の言葉でした・・
おもいたったら いくがいい。
やむしい心なくば・・
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人によっては色々なとらえ方があるでしょう。
共通して、人としての在り方を再確認できると
今回は深いところを感じました。
なぜ夜中に起こされ、私に話そうとしたのか・・・
個人的に言いたかったのかもしれません。
日本人皆に言いたかったのかもしれません。
直感で良いと感じた事だけでも
受け取る事が大切だと思います。
なわつかみのかみ・・びんぶんふりの悔恨と切なる思い
私は そう受け止めます。