ソラ〈宇宙〉ネゴト

その日その時に見た夢や ソラからの言葉を
分析して きままにネゴトを言わせてもらいます

秩父事件

2010-03-12 19:31:25 | 日記
1884年、明治17年11月悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起。秩父困民党軍は西南戦争で西郷軍が押したてた「新政厚徳」の旗をかかげて行進したという。
もともと秩父郡一帯は、養蚕製糸が盛んでゆたかな生活を楽しんでいたが、明治15年ごろから深刻な不況に直面し、多くの農家が高利の借金の返済不納におちいり、破産に瀕した。17年2月、秩父に自由党が結成されると前年から運動していた上吉田村の高岸善吉・坂本宗作・落合寅市らがそれに加わって、解決の道をさぐった。

彼らは、貧民を救うために借金の10年据置き、40年々賦、学校の一時休校、諸税の減免を嘆願して農民らと運動をつづけた。
だが、官側はこれを受けつけず、金主らもこれらの要請を拒否して、いっそう苛酷な取立てを行った。そのため、高岸はじめ井上伝蔵ら吉田村の有志は17年8月、田代栄助を首領に仰いで盟約をかわし、ひそかに武装蜂起の準備をはじめた。

組織は秩父の村々から上州にまで及んだ。
彼らは11月1日、椋神社で困民軍二大隊を編成、五ヵ条の軍律を定め、一般の住民に危害を加えることを厳しく戒めた。11月2日、大宮郷に入って郡役所を占拠、3日荒川河畔で憲兵隊と交戦して撃退、4日・5日上州金屋と粥仁田峠で鎮台兵と交戦したが破れ、本隊は解散した。だが、一隊は十石峠をこえて信州に転戦、9日の東馬流の戦闘を最後に潰走した。

蜂起参加者は最盛時8,000人とも10,000人ともいわれるが、有罪判決を受けた者3,390余人(最高幹部は死刑ないし無期懲役〉官憲の調書に名を残した者4,200余人、その内の約4分の1が吉田町の人間だった。

明治政府は、この戦闘で死亡したり負傷したりした軍人や警察官の処遇にあたって、これを西南の役に準ずる「戦争」として扱い、その戦況や結末の報告は大政大臣から明治天皇のもとにまで届けられている。

歴史に弱い私なので 吉田町「秩父事件概要」資料から
抜粋した。

Wikipediaでは 次のような事が書かれてた。

明治維新の開国により 農家は輸出用養蚕農家転用し始めた。
1884年ヨーロッパの大不況 デフレ・スパイラルにおちいり
養蚕農家は生糸の大暴落のため 貧困にあえいだ。

当時日本は 富国強兵のため 国民に重税を課した。
農家は生活が立ち入らなくなり 高利貸しから借金をするしかなかった。

そこで秩父から信州、遠州の首謀者たちが
政府に対し自由民権運動を起こし「困民党」を設立した。
政府、高利貸しに対して 請願活動を行ったが却下され
貧困にあえぐ農民たちと共に 実力行使に出た。

その情報をすばやく察知した政府は 
鎮圧の為 政府軍、警察隊を向かわせた。

最後の場所「東馬流」で終焉した。
首謀者達の中に 長野県北相木郡の「菊池貫平」という人物がいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ざっとこの様な概要だと思うけど 間違えてはいけないので
皆さんが ご自分で検索してもらえると有難いです。
映画「草の乱」はこの事件を取り上げた作品です。
また、大河ドラマ「獅子の時代」もそうらしい。

私たちが行った先々が 不思議な事にその場所を巡ったのでした。
ヨーロッパの大不況が発端ですが
その裏では 膨大な富を得た一族が居たと「ヨーロッパ大不況」検索で
書いてありました。
それが かの有名な「ロス○○ド」だそうです。

鎖国から開国の明治時代 日本政府は外国の脅威に怯え
国民の苦しみを富国強兵の旗印の下に
重い税を課した事で 2重にも3重にも苦しんだ。

自給自足を止め 農民はまんまと乗せられたその代償は大きい。

おりしも 今日のニュースで
ギリシャの大規模デモは 今囁かれてるヨーロッパの国々の危機を匂わし
日本もひと事ではなく 日本国危機の発端と考えなければいけない。

「秩父事件」は最終的に 政府の武力行使により鎮圧されたけれど
力と力でぶつかれば 弱者は一溜りもないのは当然だが
あの時代の背景では その方法しかなかったのかもしれない。

今の時代なら どの様な方法をとるだろうか・・・
歴史の繰り返しは 個人のカルマと同じだと感じる。
ここにも フラクタル的な要素が隠されてる。

国も外ばかり見て恐れていては 過ちを犯すだろう。
堂々とした態度、恐れず、国そのものである私達平民の事を考えるべきだ。

私達も力や怒りではなく 国に働きかけなければならない。
輸入品に頼らず より多くの欲を求めず
目先の救済の裏や メディアで言われてる景気回復を鵜呑みにせず 
海外の情報を他人事に済まさない
自給自足できる事は 力を合わせてやれたらいいだろうな・・

私たちが辿った9日の道が 
まるでこれから起こるかもしれない
世界の社会情勢予言に感じるのは
考えすぎだろうか
あまりにも現況とリンクしてて 不思議でならない

そうでないとしたら 何を伝えてるのか・・
首謀者であった「菊池貫平」の死刑から
一転して終身刑から10年で出所、生かされた・・
私たちがその日経験した最後の難関で
大型トラックに危機一髪で潰されずにすり抜けた・・生かされた

まるで 疑似体験したみたいだった
前世ではないのは確実だ

世の中の不穏な動きが感じられるけど
何が起きても動じない強さを身に付けるべきでしょうね。