このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。
この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp
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20200721 杉戸 富士塚 碑
埼玉県北葛飾群杉戸町杉戸4丁目
杉戸 厳島神社
『芭蕉の句碑 所在地 杉戸町杉戸四丁目
ここ浅間神社の岩山の一角に、次の芭蕉の句が、自然石に刻まれている。
八九間 空で雨ふる 柳哉 はせ越
この句は、続猿蓑集巻の上に載っている連句の発句であるが、数多い芭蕉の句のうち、なぜこの句が選ばれたのかわかっていない。この自然石は、昭和三十三年(1958)に古利根川の改修工事を行なうため、この浅間山を移築したとき見つかったものである。
はせ越は、松尾芭蕉で、元禄二年(1689)三月二十七日に「奥の細道」の旅立ちをして、翌二十八日には杉戸宿を経て間々田宿に泊っている。江戸時代末期には地方でも俳句がさかんになり各地に発句の会などができ、俳句作りは農村の娯楽の一つとなり、清地の近津神社の境内には、嘉永六年(1853)に建立された当町の俳人の名が刻まれた碑がある。
また、浅間神社では、毎年七月一日に子供の健やかな成長を祈る行事として、初山が催されている。
昭和六十二年三月』 掲示板より
埼玉県北葛飾群杉戸町杉戸4丁目
杉戸 厳島神社
『芭蕉の句碑 所在地 杉戸町杉戸四丁目
ここ浅間神社の岩山の一角に、次の芭蕉の句が、自然石に刻まれている。
八九間 空で雨ふる 柳哉 はせ越
この句は、続猿蓑集巻の上に載っている連句の発句であるが、数多い芭蕉の句のうち、なぜこの句が選ばれたのかわかっていない。この自然石は、昭和三十三年(1958)に古利根川の改修工事を行なうため、この浅間山を移築したとき見つかったものである。
はせ越は、松尾芭蕉で、元禄二年(1689)三月二十七日に「奥の細道」の旅立ちをして、翌二十八日には杉戸宿を経て間々田宿に泊っている。江戸時代末期には地方でも俳句がさかんになり各地に発句の会などができ、俳句作りは農村の娯楽の一つとなり、清地の近津神社の境内には、嘉永六年(1853)に建立された当町の俳人の名が刻まれた碑がある。
また、浅間神社では、毎年七月一日に子供の健やかな成長を祈る行事として、初山が催されている。
昭和六十二年三月』 掲示板より
横浜-182 元町厳島神社
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