中年おじさんの散策part2

散策内容を紹介します
七福神・温泉・散策案内が主なものです。

史跡-413 幸手市神明内 浄誓寺

2021-12-31 05:18:43 | 墓・史跡・古墳

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp 

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ)

 

20210330   幸手 桜・塚・史跡
埼玉県幸手市神明内     
  幸手市神明内 浄誓寺
浄誓寺 平将門首塚 
関東に覇を唱えた平将門であるが、その後人々がいかに慕っていたかを知る一つの目安に、将門に関する墓や塚が複数残されている点が挙げられるだろう。東京の大手町にある首塚が最も有名であるが、幸手市にも将門の首塚が存在する。
伝説によると、将門が最後の一戦に臨んだ場所が幸手であり、ここで敗れて討ち死にしたのだという。そして首が埋められた場所が現在の首塚であるとされる。さらに一説によると、埋められた首をこの地に運んできたのは将門の愛馬であったとも言われている。
この浄誓寺の近くには、将門の血で染められた木があったことから“赤木”と付けられた地名など、将門にちなんだ伝承が残されている。  

 

 

 

 

 

 

 

史跡-412 聖観世音菩薩堂・不動明王堂 香取神社

史跡-411 久喜 観音堂(藤原道)

史跡-410 久喜 甘棠院

史跡-409 聖福寺

史跡-408 日光街道 助町・中央商店街

史跡-407 幸手 マリア地蔵

史跡-406 権現堂 白山大権現

史跡-405 天神神社(天神島城跡)

史跡-404 幸手市神明内 浄誓寺

史跡-403 香取神社 聖観世音菩薩堂・不動明王堂

史跡-401 久喜 観音堂(藤原道)

史跡-400 久喜 甘棠院

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史跡-412 聖観世音菩薩堂・不動明王堂 香取神社

2021-12-30 08:36:33 | 墓・史跡・古墳

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20210318 南栗橋    碑・史跡
埼玉県久喜市南栗橋4丁目         
            香取神社
聖観世音菩薩堂・不動明王堂
  所在地 栗橋町大字中里四二三番地
 香取神社の祭神は、経津主命である。埼玉県社寺明細帳には「元禄十年(1697)に除税地となる」とあるので、それ以前に創建されたものと推定されている。
 新編武蔵風土記稿の中には、「村の鎮守なり、狐塚村泉福寺持」と記載されている。
 現在の社殿は、昭和四十一年(1966)に再建されたもので、地元の人たちにより元旦、四月十五日、十月十五日の日に祭礼が行なわれている。
 境内には、嘉永三年(1850)奉納の石燈籠、享保十年(1725)の石塔などがある。 昭和六十三年三月
 この神社は、東武日光線・南栗橋駅の西100m程の辺り、要するに南栗橋駅・西口前に鎮座している。

 

 

 

 

 

 

史跡-411 久喜 観音堂(藤原道)

史跡-410 久喜 甘棠院

史跡-409 聖福寺

史跡-408 日光街道 助町・中央商店街

史跡-407 幸手 マリア地蔵

史跡-406 権現堂 白山大権現

史跡-405 天神神社(天神島城跡)

史跡-404 幸手市神明内 浄誓寺

史跡-403 香取神社 聖観世音菩薩堂・不動明王堂

史跡-401 久喜 観音堂(藤原道)

史跡-400 久喜 甘棠院

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史跡-411 久喜 観音堂(藤原道)

2021-12-29 08:28:38 | 墓・史跡・古墳

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20210303 久喜  史跡
埼玉県久喜市本町
    観音堂(藤原道)
 久喜駅西口の提燈祭り通りと市役所通りとの交差点近くにお堂があり、地元では観音堂と言っています。
 このお堂の近くには銅製の地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)があり、この像の後ろに、明治32年(1899)の「藤原堂由来記」と、平成6年(1994)の「記念碑」が、並べて建てられています。これらの石碑を参考にして、この場所の歴史について紹介します。
 今から三百年以上も前の元禄元年(1688)、近所に住んでいた藤原某の娘は子どもの頃から病弱で、年頃になると亡くなってしまいました。両親は、たまたまこの地を訪れていた江戸増上寺の高名なお坊さんにお願いをしてお堂を創建し、正観世音菩薩像を寄進し、娘の冥福と人々の利益を祈りました。このお堂は、藤原堂と言い、当時評判を呼び、多くの人がやってきました。そこで、元禄3年(1690)には別のお堂が建てられ、両親はさらに阿弥陀如来像を寄進し、翌年には父親が仏門に入りました。このお堂を念仏堂と言い、江戸時代の絵図にも描かれています。
 安政3年(1856)に風災害が起こり、すでに老朽化していた藤原堂及び念仏堂は建物が完全に壊れ、元に戻すこともできないまま、明治維新を迎えると、ついに廃寺になってしまいました。
 明治20年代に、この現状を嘆いたお坊さんが再興計画を立て、信徒とともに寄附金等を集め、5年の月日を費やして一堂を建立します。平成6年(1994)には、老朽化したこのお堂を改修しますが、このお堂が現在観音堂と地元で言っているお堂で、今もこのお堂には正観世音菩薩像が安置されています。 

 

 

 

 

史跡-410 久喜 甘棠院

史跡-409 聖福寺

史跡-408 日光街道 助町・中央商店街

史跡-407 幸手 マリア地蔵

史跡-406 権現堂 白山大権現

史跡-405 天神神社(天神島城跡)

史跡-404 幸手市神明内 浄誓寺

史跡-403 香取神社 聖観世音菩薩堂・不動明王堂

史跡-401 久喜 観音堂(藤原道)

史跡-400 久喜 甘棠院

 

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史跡-410 久喜 甘棠院

2021-12-28 08:29:22 | 墓・史跡・古墳

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20210923 久喜 彼岸花・史跡
埼玉県久喜市本町          ゼフィランカス
        久喜 甘棠院
  甘棠院(かんとういん)は、埼玉県久喜市本町7丁目にある、第2代古河公方足利政氏が永正16年(1519年)に開いた寺院である。山号は永安山(えいあんざん)。臨済宗円覚寺派。
  永正16年(1519年)、久喜に隠退した足利政氏は自らの館を寺として永安山甘棠院とし、子の貞巖(ていがん)を開山とした。その後、政氏に従ってきた家臣たちにより守られ、近世に入ってからも、徳川歴代将軍から朱印地100石を賜る格式を誇っていた。記録によると、政氏が館を寺に改めたのち、建物は天文17年(1548年)に火災により消失、翌年より再建に着手し、天文21年(1552年)に落成した。その後、天明2年(1782年)より4年がかりでさらに建て直しが行われている。さらに何回か手が加えられ、現在の本堂や庫裡は、昭和44年(1969年)からなされた大改修によって完成したものである。歴代住職についてみると、円覚寺や瑞泉寺との関係が深い。 

 

 

 

 

 

史跡-409 聖福寺

史跡-408 日光街道 助町・中央商店街

史跡-407 幸手 マリア地蔵

史跡-406 権現堂 白山大権現

史跡-405 天神神社(天神島城跡)

史跡-404 幸手市神明内 浄誓寺

史跡-403 香取神社 聖観世音菩薩堂・不動明王堂

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史跡-400 久喜 甘棠院

 

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史跡-409 聖福寺

2021-12-27 06:39:46 | 墓・史跡・古墳

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20210920 幸手     
埼玉県幸手市北1丁目
              聖福寺
                        (聖福寺 通称:しんてら)
  旧日光街道沿いに今も残る聖福寺は菩提山東皐院と号し、浄土宗知恩院の末寺として応永年間(1394~1428年)に開山したと伝えられている。
 江戸時代には将軍の日光社参の折りと、東照宮例大祭に天皇の代理で参拝した例幣使(れいへいし)の帰路の休憩所に用いられ、山門は唐破風(からはふ)四脚門で将軍と例幣使以外は通行できなかったとされています。
 阿弥陀如来を本尊とし、運慶の作と伝えられる観音菩薩像が祀られ、境内には漢学者金子竹香(ちくこう)の碑などが建てられています。
  最近交差点に「身代わり地蔵」が建立されました。

 

 

 

史跡-408 日光街道 助町・中央商店街

史跡-407 幸手 マリア地蔵

史跡-406 権現堂 白山大権現

史跡-405 天神神社(天神島城跡)

史跡-404 幸手市神明内 浄誓寺

史跡-403 香取神社 聖観世音菩薩堂・不動明王堂

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史跡-400 久喜 甘棠院

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