スクリャービンの死の前年に完成したピアノ曲「焔に向かって」。
故西村朗氏絶賛。「学生時代にオーケストレーションを試みたが断念した。誰かやらないか」と、氏が逝去される数カ月前FM番組でこの曲を紹介された。
当時の氏の言葉を遺言の様に受け止めていた僕は、ご逝去の数カ月後、今から半年以上前、その曲の暗譜を始めた。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」風の響きのさざ波の様な動機が転調を繰り返し、循環し元の調に戻るので、そこからも転調を続ければ無限ループになる。
曲全体にトレモロが多用され、初めはアルペジオで穏やかに波打ち、徐々に大きくなり中間から光の噴出に変貌する。そこからは憑りつかれた様に呼応し、最後に巨大な倍音列がそそり立つ。
とは言え技術的なレベルとしてはドビュッシーの「喜びの島」等と同程度で、それほど高度では無い。そして不思議な事に、これを弾いて感情が掻き立てられる事は無い。同じ転調を繰り返しながらトレモロで煽る、というシステマティックな分かり易さが最晩年の上澄み液のような境地をもたらすのか。
それにしても死の前年にこれほどの作とは!「中々こうは書けないよ」と西村氏。今も隔日で弾いている。
この曲をオーケストレーションするなら、スクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」の様になるだろう。4管編成で(トランペット5、ホルン8)大半が音の洪水の様なスコアは追うだけでも精一杯だが、この曲を改めて聴くと、メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」の先鞭の一つとも感じられる。
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