池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

児童合唱/ダンテ「神曲」煉獄編:第8歌

2008-08-24 | 作曲/言葉・声

急遽、日本現代音楽協会の児童合唱作品展 ['09.2月1日(日)東京文化(小)マチネー] への出品が決まった。
〆切まで日数も無いので昨年の労作(演奏予定は無い)、ダンテ「神曲」煉獄編の第8歌からイタリア語の原語で無伴奏混声4部合唱(ソロ4人付き)にしたものを日本語にし、演奏時間も短くし、ピアノ伴奏の児童合唱(4部+ソロ1人)にリメイクすることにした。
日本語のテキストは自分で作る。分かり易くて歌にしたい部分だけ選び、作曲の都合で言葉を足したり削ったり変えたりする。

…児童合唱とピアノのための「テ・ルーキス・アンテ」。演奏時間9分強、合唱はソプラノ2部、アルト2部の4部に、部分的なアルトのソロが入る。
4部合唱でも児童合唱と、混声4部とでは性格が異なる。合唱作品としては2001年、「夜叉ヶ池」でオーケストラ歌曲の背景に合唱を使ったのが重要な経験となっている。この作品では混声合唱を、女声3部と男声3部の2つの合唱に分け、その前面でソロが歌う、という形を取った。最後のクライマックスで初めて混声6部になる。
児童合唱は女声合唱の書き方とほぼ同じだろう。混声合唱に比べ、当然音域が狭いので、対位法的な手法にしても、立体的では無く位相的とでも言えようか、つまり縦にではなく、時間的なずれによって重層的な構造を作ることになる。

1996年は子供のための1時間のオペレッタを作曲、指揮した。台本の中の詩にソロや合唱を作曲し、セリフにはレシタティーヴォ風に伴奏を付け、全体が一つのシンフォニーになるよう推移やクライマックスには器楽アンサンブルの部分を挿入しなければならない。期限は約3ヶ月。考えている暇は無かった。パッと目に入った詩の一節に、パッとメロディーが浮かばなければ、そこは後回しにし、別のシーンに目を移す。睡眠時間を計算しながら。
その4年前には土佐弁による40分のモノオペラを委嘱され作曲し、シンセを弾いた。オペラなのですべての言葉を音符にした。始めは日本語のイントネーションを音符にすること自体に戸惑い、話し声を聴音したりした。しかし土佐弁は見当もつかない。歌い手の都合を聞き、一旦最後まで書いた歌のパートを全部書き直した。

これらの体験によって染みついたのだろうか。僕は歌を作曲するのは速い。器楽曲では色々考え、悩み、工夫を凝らすのだが、歌となるとテキストに突き動かされ、夢中で作曲してしまう。
作品というものは時間をかければ良いものが出来る、とは限らない。料理など、さっと火にかけ、さっと冷やし…でなければ鮮度が失われてしまう。


テ・ルーキス・アンテ(ダンテ「神曲」煉獄編―第8歌から作曲者抄訳)

時は来た
船出の記憶よみがえり
夕暮れを悼む鐘の音。

精霊を見た
両手を上げ、手を合わせ、東方を見た
‘他は一切念頭に無し’神に告げるように。

‘テ・ルーキス・アンテ’
その口から発せられる清らかな調べに
思わず我を忘れた。

周りの精霊たちすべても
金色の響きで唱和し
信仰の眼差しは天球に向かった。

気高き精霊の群れ
立ちすくみ、蒼ざめ、慎ましく
何かを待つように天を仰いだ。

二人の天使たち
炎の剣を持ち
天の高みから現れ、降りてきた。

若葉のような緑の衣は広がり
緑の翼に打たれ、吹かれ、なびき、
はためき、渦巻き…

一人は私の上に浮遊し
一人は対岸に流れ
精霊たちはこの二人に包まれた。

その黄金の髪は見ることが出来たが
顔のあまりの輝きに打ちのめされ
目が眩んだ。

≪マリアの懐から来る天使たちよ≫



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