池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

指導者は養成できるか

2009-03-23 | 演奏審査・音楽講師育成

2005年度から代官山音楽院・指導者養成科に勤務し、4年経った。本日、学生の修了式を行い、指導者養成科自体も終了し、4月から「研究科・音楽芸術専攻」に改められる。
新設される科に指導法の講座は無く、作曲・理論・演奏の「音楽芸術専攻」と、管・弦・ギター・ピアノ製作・修理の「総合技術専攻」とで成り、僕は「音楽芸術専攻」作曲・ピアノを担当する。*

これまで指導者養成科を担当しながら、僕は常に“指導者は養成できるか”という命題と対峙していた。
―音楽の指導者は音に敏感であること。つまり耳が良いこと。さらに音楽を図形や絵などのイメージに置き換えたり、言葉にしたり、感嘆の声や身振りでアピールできること。
…これらが熱意をもって自然にできたなら《名教師》―

これは指導者養成科のHP.に掲載した僕のメッセージだが、もちろん実際はこれほど単純では無い。勝手気ままなことを感情的に強い熱意で押しつけられたら、生徒の方はたまったものでは無い。
楽譜という抽象的な音楽の設計図から、なるべく正しい感じ方をするために音楽分析の訓練が必要だし、正しい音楽分析のためには音楽の文法である和声学をマスターしていなければ無理だし、和声学にはその時代における言葉遣いの倫理が込められていることを知ることで、倫理的な演奏の価値を理解することになる。

かくして教える側は山ほど勉強し、準備した上で、しかしながら全く知らないかの素振りで、生徒自らが発見するよう手助けに徹しなければならない。
教えられて分かっても喜びや感動、記憶には結びつかない。いかに教えないかが勝負だ。教師は答えを教えてしまったや否や、悔しがるのでなければ…。
そう考えると、「指導者を養成する」ことに熱を入れれば入れるほど生ずる、かすかな後ろめたさを払拭することが出来なかったのだ。

下記も同じく指導者養成科・クラシックピアノコースのテーマとして開校時に作成したもの。

    [Response を磨く]
◎音楽指導者に不可欠な3つのレスポンス(=反応)
1. ≪音≫に反応する能力
 まず音に敏感であること。さらに音楽のイメージを図形や絵、言葉、感嘆の声やアクションで表現できる能力。
2. ≪生徒≫に反応する能力
 生徒の顔色やしぐさをキャッチし、何を望んでいるか察する能力。
3. ≪助言≫に反応する能力
 人の意見や助言を素直に、正確に聞く能力。専門分野に関わらず根本的に重要。

聞く能力、即ち聴く能力か。僕自身20年以上子供を教えた経験から言っても、話を聞く能力のある生徒は音を聴く能力も高く、めきめき成長した。
聞く能力とは、自分の感情と事実をきちんと区別して捉える能力とも言えるだろう。

* 代官山での僕のレッスンは2010年7月に終了。'13年3月、研究科廃止。代官山音楽院は'17年4月「島村楽器テクニカルアカデミー」に改名・改編。'19年3月、島村楽器テクニカルアカデミー閉校



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