東京芸術大学総務課企画評価係から、アンケートが郵送された。今年、創立120周年を迎えるにあたり、藝大の教育・研究機関としての評価を卒業生に求めるものだ。
美術学部、音楽学部の卒業生から3000人を抽出して送ったという。
僕は藝大の入学試験を2回受けた。1度は別科、もう1度は大学院。2つ目の試験に合格するまで、学部や院の学生は憧れの存在だった。
当時、別科の学生は、週一度の専攻のレッスンしか受けてはいけない決まりになっていた…学部生と同じ授業料にもかかわらず。
しかし教官の一人一人がそれを守って受講生に目を光らせていた訳では無かったし、むしろその制約を残念に思って下さっていたから、聞きたい講義に潜り込むのはスリルがあったものの、現実的には容易かった。
作曲科の学生は教官の名前を親しみを込め、略称で呼んだ―「ノダテル」「サトシン」「ウラケン」「マツテイ」。
僕は念願叶って「サトシン」の門下生になり、レッスン以外に「マツテイ」(松定食では無い)の、「ハルサイ」(ストラヴィンスキーの「春の祭典」)のアナリーゼに潜り込んだ。
スコアは3冊用意した…藝大の前に師事していた先生からお借りした、その先生が藝大の学生時代に矢代秋雄氏のゼミを受けて書き込んだもの。
学部生の友人が貸してくれた、彼の指導教官・永冨正之氏によるゼミの書き込みのあるもの。
そして自分で買ったまっさらなスコア。
講義内容の高度で、しかも分かり易く、また最前列に陣取った作曲科の1年生3人がしっかり内容を理解し、先生の質問にうがった答えをするのに驚いた。
当時の自分には初老に見えた「マツテイ」が、様々な調に移調して記譜された木管の対位法的なセクションを、ピアノ(スタインウェイ)で弾いて聴かせてくれたのにも驚いた。
ファゴットのノン・レガートのアルペジオを「ポポポポ・ポポポポ…」と、ひょうきんな身振りで演じて下さった時は、一同、受けた。
「まるで空間恐怖症としか思えない、ここのヴァイオリンなんかどうせ聴こえっこない」などと批判しながらも、最後には「ただ残念なことは、この曲が僕の曲では無いということ」と、しみじみ仰った。
その松村禎三氏も、8月6日に肺炎でご逝去された。
サトシン(「シェーンベルクの《期待》の方がよっぽど緻密」と仰った)も退任され、さて、藝大はこれからどうなるのだろう。サラリーマン的常識人ばかりになってしまってはだめだ。
ところで、最近少ない「街歩き」の投稿も時々お願いいたします。
別科時代は、私の時は、どの授業に出てもよかったんですよ。芸大の話しはやはり懐かしいですね。
でも、やっぱり在籍していた時代が異なるので、
少し印象が違いますが。もう少し軽かったかもしれませんね。