フルート・オケのスコアのファイルをCD-RWにコピーし、パソコンからは完全に消去した。もしCDへの保存が失敗したら…と思うと、この作業はいつもひやひやする。
ついでに、さわりだけを試作したまま中断していた合唱曲をプレイバックしてみた。久しぶりで、どんな曲だったか多くは忘れていた。
フルート・オケとは対照的な曲調で、まるで他人の曲を聴くような心境になる。聴き終わるや否や、メラメラと直したい衝動に駆られ、修正作業に突入していた。
その衝動を、アルコール依存症の人がお酒をひと舐めした瞬間のような…と譬えたら、不適切な発言として、もし大臣だったら辞めなければならないだろうか。
作曲家にとって、曲を書き上げたら原則的に仕事は終わり。
初演を待つ気分は、比類なき勤勉さで巣を張り、その後は獲物がかかるのをじっと待つ、蜘蛛に似ているかも知れない。
自分の作品がどんな風に音になるのか、リハーサルに立ち会うのも確かに楽しみではあるが、その関心の性質は作曲中と完成後では、ちょうど恋愛と結婚くらいの違いがある。
結婚後は恋愛中の燃えるようなパッションは無いものの、子供の誕生や夫婦の足跡など育む充実感があり、将来に向けた社会的、経済的能力も問われる。
演奏家やコンサートの運営サイドは、作品が出来てからが実質的なスタートとなるので、その時差に、こちらも合わせる努力が必要だ。
しかし作る立場としては、終わった曲にいつまでも関心を持っていては次に進歩できない。
飽きるのも才能、忘れるのも能力、さらに「多情でなければならない」と、もし大臣が発言したら、公の場で謝罪しなければならないだろうか。
さあ、合唱作品にエンジン全開。
この曲は宗教的な性格ゆえ、ひとりフルート・オケと対照的なだけでなく、恐らく自分の全作品の中でも特異なものとして位置するような予感がする。
(写真:実家で父が撮影)
PCの空き容量を減らしたくないからです。
減ると「ハードディスクを整理してプログラムの実行を速くする」という操作が出来なくなるからです。
オケ作品だと、パート譜も合わせると10MBくらいになるのです。