オダイバの実家に帰省した…と言っても三島と修善寺を結ぶ伊豆箱根鉄道の「大場駅」だ(写真)。
ここが実家の最寄り駅なのだが、いつもこの駅ではなく、JRの、山の中にある「函南駅」から車で送り迎えしてもらう。
新幹線を使えば東京から1時間だが、それでは味気ないので安い路線を乗り継ぎ、時間をかけ、旅情を味わいながら帰省する。
帰省した翌日は町の中を2~3時間歩き廻るのが常。「帰ってきたよ!」と、故郷に挨拶するのだ。
この時期、田んぼの稲が青々と育ち、風になびく。泥の匂い、微かな農薬の匂い…高校卒業までこの空気の中、登下校した。
現在の職場、代官山音楽院まで渋谷駅から歩く距離は、実家から小学校までとほぼ等しい。しかし何と対照的なこと!
小学校とは目と鼻の先にある「田方農業高校」には、田んぼがある。牛もいる。
誰もいないグラウンドで、オレンジ色のTシャツ姿の女子だけが声を上げ、ソフトテニスの練習をしていた。
付近を流れる来光川には、鴨が浮かんでいた。黄色い自転車を立ちこぎする、真っ黒に日焼けした男の子とすれ違った。
巣立った幼稚園にも行った。隣に新たな園舎が増築されていた。この町は少子化知らずのよう。
どんどん先を歩き、起伏に富んだ隣の集落に今もある、幼児期を過ごした借家の前を通り、丘を登った。
木々の間から下に公園が小さく見えた。カサカサっと音がした。トカゲだった。
この辺は幼少の頃、よく父に連れられて歩いた記憶がある。当時はまだ自然のままで、宅地も公園も無く、ただのどんぐり山だった。
一度、一人で行ってみろ、と言われ、薄暗い中、半鐘などの目印を頼りに歩いた。
でも何となく父が後から付けている気がした。僕を脅かそうと、小枝を投げ、葉っぱの音をさせたような気もした。
丘から下りると丸い貯水池がある。それを見下ろす一軒の家には、よく吠えるシェパードがいた。「アメリカさんの家」と母は呼んでいた。
車が無かったので、母の青い原付バイクの後ろによく乗った。やがて、その姿を友達に見られるのは恥ずかしいな、と思うようになった。
実家に戻ると、猛暑の中の2時間の散歩はさすがに応え、横になった。母が心配し、冷たい麦茶をくれた。
夕食時には、それよりずっとぬるい缶ビール。実家のビールはいつもお腹に優しい。
父が陽気に色々話した。それを大人しく聞く僕は、子供の頃に戻ったようだった。
偶然の一致に驚きました!