フォーレは連弾に合う。「ドリー組曲」のようなものは子供向けで今さら弾こうとは思わないが、本格的な独奏曲を手分けして連弾するのは好きだ。
一般的に連弾曲には「お茶の間の愉しみ」的な気楽さが前面に出て、不思議なことにオーケストラ曲の編曲であってもそれは感じられ、音楽の中身より、厚塗りの安ピカ物という印象を受ける…「マ・メール・ロア」などは例外だが。
そこで、フォーレの独奏曲。ショパンやリストなどピアノの名人芸作曲家とは違い、フォーレのピアノ曲の多くは、左手と右手の役割がはっきり分業されている。
洗練された和声の選び方や進行の仕方に作曲上の重きを置いているため、滅多なことでは「伴奏」対「旋律」の型が崩れることは無い。
2~3年前から「即興曲」「ノクターン」「バルカローレ」から連弾可能なものを選んで弾いている。
弾いてみると、独奏曲を敢えて連弾で弾くことに、むしろ意義のある事が分かった。
全体像の半分だけを担当することにより、弾かない音がどうなっているのか無意識のうちに想像し、それはしばしば覆される。
また、一人で弾くとテンポや強弱が気ままに変化しがちだが、二人で弾く事により、お互い牽制し合い、表現が中和される。
安定した音楽進行の内部で起こる、和声の繊細かつ多義的な変化に集中するために、「表現の中和」はフォーレにおいては極めて重要だ。
二人の気持ちが一体化し、穏やかなスロープを描きながらクライマックスに達することが出来れば、感動も倍増する。
それは再現部が訪れる瞬間だったり、再現部の後のコーダだったり。21才年長のブルックナーと共通する香り。宗教的なエクスタシー!
なんとなく穏やかなやわらかな作品が多いように思います。ところでよくフランスの音楽を初めて作った人と言われますが、本当ですか?
「交響曲の父」と同様な使われ方ではないでしょうか。
「交響曲の父」以前にも交響曲は存在しますし、フォーレ以前にもフランスには独自のスタイルがありますから。
父の方はほぼ出来て来週にも引っ越しです。
ではまた!
楽しいブログですね。