今はエイリアンはフリートークとなっておりますが設定があった若い頃の記憶を思いだしております。私の過去をエイリアンは探っておりますが今更何を言っても仕方ございません!設定があったころは半年や一年に及ぶ強い拘束でしたが設定の終わりには必ずその評価を清算するのが常でした。
母に頼んで煮しめを作ってもらいビールを一本飲むのが常でした。今は煮しめを作ってくれた母もこの世にはおりません!私の両親はある程度私に何が起きているのかわかっているようなのでした。もちろん私は仕事をしているといっていたのである程度の理解は得られておりました。
たまにはお前はいくら稼いでいるのかと聞かれることはございましたが私は答えることはできませんでした。そのころはエイリアンが拘束していることは知らない時でしたのでその設定の清算による金額がもらえると毎回信じておりました。確かその金額は年収に換算して数千万円ほどでした。
拘束しているのは人間だと考えていたのでそれはいずれ現実となると思われました。拘束されて20年ほどたった40代のころはさすがに両親もおかしいと思っていたと思われます。そのころは自分の部屋に閉じこもり風呂にも入らず床屋にも行かず食事もろくに食べられなくなっておりました。
24時間眠らずに設定をやっておりました。両親は保健所に相談に行ったそうですがそこではダメで精神神経センターに入院ということになったのでした。そのころはまともに言葉もしゃべれず筆談で担当医と相談をしておりました。最悪の時でしたが入院して3か月くらいたってやっと回復したのです。
そのころからこの状態を維持するためにはお薬が必要となったのです。もっと若いころにわかれば入院することもなかったのでした。まさかエイリアンによって拘束されているなんて夢にも思われませんでした。そこで拘束が終わればまだまだ人生を自由に生きることができたのに残念ながらその半年くらいたったらまたまた拘束が始まったのでした。
それからはエイリアン達からの電話があり今に至るまで拘束は続いているのです。その間は父がなくなりその後10年ほどで母がなくなり私の理解者はいなくなってしまいました。今も信じいておりますがこの拘束は50代後半で終わり幸福をつかむということができたと思われます。アメリカ側はそのような計画ではなかったかと今でも思っております。
今は何もかも不確定な人生を過ごしております!