減税、維新、首長と統一自治体議員選挙を前に最近は既成政党とは違うぞというアピールのもの、「改革」を旗印に選挙選に挑もうとする方々が増え、ある流行りになっている。選挙だから何かを訴えて選挙戦を戦うことは重要だが、問題はその中身である。キャッチコピーとしてのスローガンは短いフレーズで良いが、では当選のあかつきには何をするかが実はあまり語られていない向きが多い。岐阜市でも「改革派」と称して選挙戦を戦おうとする人々がいるが、岐阜市の何を改革するのか余り聞いたことがない。現職組にもそういう人々がおられるが、議会でそんな高邁な主張を聞いたことがない。要は昨年の市長選で現職を応援したか否かのグループ分けで、二元代表制である地方議会の権能を放棄しようとする議会の自殺行為そのもの、更に岐阜市議会がこれまで実施してきた改革の流れを止めようとするとんでもないものだと思う。「是々非々」の姿勢こそが地方議会が今後進めなければならない道である。己の選挙戦に利用するために「改革」の連呼だけでは、市民はしらけてしまう。議会がどうあるべきか、市政の将来像は、己の活動目標は、市民本位の市政には何が必要か、選挙戦でそうした主張をぶつけ合い、議場では互いの主張を議員間でも討論しあい、それを市民に広く公開していく・・・・そういったことが「改革」という意味ではないだろうか!!