信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

見沼代用水・西縁を歩く(その1)

2022年03月24日 | 街道紀行




お早うございます、信です。
冷たい雨・雪は上がりましたが、昨日は肌寒いまだ花冷えの一日でした。

みかも山の森の妖精への日当たりも悪かろうと、昨日は性懲りもなく見沼代用水を南に下り
東縁を延々と22kmほど歩いてきました。

少しは桜も咲いているかと思いましたが、この寒の戻りの影響は大きく
せっかく咲きかけた蕾が、また固く閉ざされたようで、殆ど咲いた花を見ることはありませんでした。

会社を卒業して早や3ヶ月。
コロナやらウクライナやら、何かと世間はありますが、ノーテンキな私のウォーキングは
順調に1日・2万歩ペースを守ってきています。

果たしてこれが何の役に立つやら、半年後にもう一度、レビューしてみたいと思います。





さて昨日は東縁を歩きましたが、前後しますが3月15日に西縁を歩いてきたので、その様子を2回に分けてアップします。
時の経つのは早いもので、もう10日近くも前のネタになってしまいました。

東大宮と蓮田の間(ヒガハス)に瓦葺掛樋跡という遺構があり、ここで利根大堰から流れてきた見沼代用水は
東縁と西縁に分かれます。
昨日歩いたのは東縁でしたが、今回は15日に歩いた赤矢印の西縁のレポです。


map

見沼代用水が整備・開削されたのは徳川八代将軍 吉宗の享保の改革の時代。
それまでは関東郡代 伊奈氏が芝川の今の東浦和駅辺りを堰き止めて作った人工のため池、見沼溜井が田地の水源となっていました。
吉宗の号令により紀州藩士勧請吟味方 井沢弥惣兵衛が新田開発・干拓の水源確保のため、行田利根川から取水し江戸の八丁堀まで、20里(約80km)に渡り開削したものです。
井沢弥惣兵衛は同時に何本も枝水路を整備し、蓮田の綾瀬川を越えたところで見沼代用水も西縁と東縁に分割して整備されています。

スタートは我が家近くの芝川


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   ハクモクレンが満開でした

   
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市民の森の案内図です。
西縁はほぼ芝川に沿って流れていきます


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かなり年季が入っています 
「見沼緑道」案内 何となく都会的なネーミングにしたのでしょうか 

   お馴染みの風車です

   
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畑の先に私もお世話になった旧東大宮病院(現:彩の国東大宮メディアカルセンター)です


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   柊南天の黄色い花が真っ盛りでした

   
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東武野田線(アーバンパークライン)です


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そう云えば春日部駅は2031年完成を目指して、駅の高架化が着手されるようです。
9年後・・私は生きて完成を見られるだろうか。

寿能団地前の踏切を渡ります


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大宮第二公園近くの潮田橋
こんなところまで秀吉は攻めて来ていたのですね


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このお宅の門前には、早咲きの綺麗なミツバツツジがあったのですが・・
いつからか馬酔木に変わっていました


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大宮第二公園の梅林です。もう梅の花は終盤です


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大宮第二公園の案内板です。
かなり壮大な絵ですが、残念ながら判別は厳しい状態です


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これも年季が入っています(同じ絵です) 

2001年に整備された第三公園です。
治水・防災拠点としての役割があるようです


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1983年(昭和58年)竣工の大宮グランドシティ
私が25歳の春、分譲された憧れのマンションです


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西縁の堤に寒桜


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種類や銘は分かりません


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安行桜を見る前で、ちょっと感激しました


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淡い色合いの寒桜も


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見沼代用水の時代変遷です  見沼の竜神伝説はここだけではありません 

今日歩いた東縁にもありました。

自治医大大宮医療センターです。
私のエンジニアとしての青春の数ページが、ここに刻まれています


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大宮南部下水道処理センターです


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水路に沿って旋回すると、新都心の高層ビル群が見えてきます


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高沼用水分岐路です


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今は失われた風景です 

間もなく首都高埼玉新都心線を潜ります


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3年前の北海道旅行の時、弾丸で羽田まで通り抜けた高速道路です。
便利になって良い時代になったものか・・?

八代吉宗の時代に、この用水路を施工・開削した井沢弥惣兵衛はこの景色を見て、どう思うでしょうか・・?
多分、その目的であった水田の少なさに驚き、更に江戸に匹敵する高密度の家屋の並びに二度吃驚することでしょう。


さて1回目はこの辺で、この絵でお開きにしたいと思います。
見沼代用水・西縁と芝川を書いたものです


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絵柄はかの「サザエさん」の長谷川町子先生のタッチに非常に似ていますが 
まさかそんなことはないでしょうから、多分アシスタントさんのアルバイトでしょうか。

最後にこの辺り北袋河岸跡のパネルで終わりたいと思います 


明日は氷川女體神社まで歩きます。


 撮影(歩いた)日: 3月15日
 撮影場所:見沼代用水・西縁(さいたま市民の森~北袋河岸跡)


それでは皆様、ご機嫌よう。








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