私が死んだら
私が死んだら、私は青い草の中にうづまり、こけむしたらちひさな石をかづき、青い大空のしづかなくものゆきかひを、いつまでもだまってながめてゐやう。
それはかなしくもなくうれしくもなく 何となつかしくたのしいすまひであらう。
白い雲が音なくながれ、嵐が時にうなって頭上の木々をゆすぶり、ある朝は名も知らぬ小鳥来てちちとなき、春がくればあかいうら、青い芽がふき出して、私のあたまのうへの土をもたげ、私のかづいてゐる石には、無数の紅の花びらがまふであらう。
そして音もなく私の眠る土にちりうづみ、やがて秋がくると枯葉が、日毎一面にちりしくだらう。
私はそこでたのしくもなくかなしくもなく、ぢっと土をかづいてながいねむりに入るだらう。
それはなんとなつかしいことか。
黒くしめったにほひをただよはせ、私の祖父や曾祖父や、そのさき幾代も幾代もの祖先たちが、やはりしづかにねむるなつかしい土、その土の香りになつかしい香をかぎ、青い日本の空の下で、私はひごとに苔むす石をかづき、天ゆく風のおとをきくだらう。
そして時には時雨がそよそよとわたり、あるときは白い雪がきれいにうづめるだらう。
それはなんとなつかしいことか。
そこは父祖のみ魂のこもる日本の土、そこで私はぢっといこひつつ、いつまでもこの国土をながめてゐたい。
ただ私のひとつのねがひは、
-ねがはくは 花のもとにて 春死なん
そのきさらぎの もち月のころ-
陸軍少尉 山川 弘至 命
昭和20年8月11日・台湾屏東南飛行場にて戦死
岐阜県郡上郡八幡町出身 28歳
4月10日、靖国神社社頭にて
写真は、千鳥が淵、武道館と九段会館の間の池、武道館裏にて撮影
いえ、文章ではありませんね。
文章などと呼ぶべきではありません。
遺書、最期のねがひ。
この青い花が咲き誇る草の上に、
みたまとなった数多くの死者たちが
膝を抱えて眺めているような。
若くして命を落とした多くのたましいたちが失望しない国でありますように。
恥ずかしながら千鳥ヶ淵の桜を初めて見たよ。
噂通りすごいねーー。
あのseikoさんが歌の会で集われた九段会館が見える武道館の裏に行ってみました。
メインのさくらの場所は人でごったがえしてるのがわかってたからです。
今回の千鳥が淵はこの景色だけ撮影しました。
そしてその足で神社に行ったら掲示板にこの遺書が掲載されていたのです。
今見た景色と遺書があまりにもぴったりだったので・・・・・。
行ったのは10日(土)だよ。
あの日も皇居の周り、競技会やってるのかと間違うほど大勢の人が走っていた。
ますます増えてる感じ、皇居ランニング人口。
大根の花です。
表へ回ると千鳥が淵のさくら見物でにぎわっていますが、だーれも見ないひっそりとした裏で咲く花は色調がちょっと違います。
みどりはいっそう緑に、黄色はいっそう黄色く、紫はいっそう紫で。
素晴らしく素敵です。(*^-^)
ほぼ見た目どおりの写真です。
この大根の花があるうちにひまわりさん、お散歩にどうぞ。
書きとって何度もよみました。
写真をみてこうゆう人たちのために靖国神社の
そばにさくらや大根のはなや菜の花が植えてあるのですね。
私最近文字をきれいに書く訓練をしようと思っています。
神社の周辺の植物や木々がひときわ美しいのは神話的な何かがありそうですね。