永福町泉谷山大園寺 2013年09月04日 22時38分08秒 | 杉並区・その他 永福町、泉谷山大園寺自宅から延々と自転車をこいでもう少しで到着というこの場所、暑くて気い狂いそうでもうだめだと思っているところへこれが目に飛び込んできた。 これ読んだからには今日も我慢して頑張るしかないじゃないか。 姉妹サイト「カメラぐらし」でも更新中 #写真 « ブログ更新について | トップ | 永福町大園寺 »
20 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 じゃり、ったって、あなた。 (ひめの) 2013-09-18 06:33:56 じゃりの意味がわかんねえよお~~だけど、いいたいことはわかります。陽光燦々 白雲悠々。いいなあ。。。まだ暑いけど。自転車、ママチャリですか。帽子とびませんか。自転車は風を作りながらだから、暑くても涼しい?さくらさん、十月に連句会しますから来てね。まだいつするか決まってないですが、こんど久留米原人神津ろいりさんの帰郷祝い&就職祝いをやりますので、そのときにみんなで話し合います。連休のとき、十月十二日からの、そこでできればなあ。あ。十月十二日。おしん上映が始る日。この映画も見せにいかなならん。でも、十二月の、永遠の0。これが一番みたいです。こんどの連休で、母たちと、少年Hを見ました。とてもいい映画でした。(おしんも永遠の0も、ここで予告編を見たのです。)東京福岡。格安航空券なら往復かなり安いんですって。びっくりですよ。片道の早割くらいの値段。 返信する ひめのさん (さくら) 2013-09-22 23:49:48 永遠の0はみようと思っています。私は作者の主張で選びますから、Hはどうもだめです。公的機関の壁にべたべた貼ってあるHの映画ポスター。永遠の0は絶対こうはいかないはず。これいかに?網目の帽子をかぶると絶対風で飛びません。網目から風が通るからのようです。 返信する 編み目の帽子? (姫野) 2013-09-26 18:15:33 スパイダーマンを連想しましたよ。具体的にはどんなのかいつか見せてくだされ。そうそう、パンパスグラスという名前でした。小郡近くの駅にあったばかでかいススキ。さくらさん、学園祭でやりますよ。十一月二十四日日曜日。けん、こうとってください。Hはクリスチャンの映画でしたね。永遠のぜろ、さくらさんがみれるかなと危惧してる。泣いてから。 返信する 少年Hと永遠の0 (かささぎの旗) 2013-12-28 17:32:30 母たち三人の感想では、こんどのがよかった、という。いずれにしろ、タイトルが覚えきれないようです。ときがたって、少年Hで印象に残っている場面。おんな兄ちゃんと呼んでいた、おかまのきれいなお兄ちゃんに赤札がきて、それに耐えられず、自殺した場面。洋服の仕立て屋という職業柄、外国人の客が多かった家に育ったため、父親にスパイの疑いがかけられ、特高に連れて行かれて拷問をうけた、その場面。ユダヤ人が船で逃れてきて、着の身着のままのその服を修理するのに、とても臭いといってた場面。どれも、生理的な、感覚的な場面です。真に迫る。 返信する 鳥栖の吉祥寺 (himeno) 2014-01-04 09:27:46 たぶん、ここだと思うのですが、今からちょっとお参りに行ってまいります。おばのお供です。 返信する himenoさん (さくら) 2014-02-03 08:48:13 きっしょうじと呼ぶのでしょうかそれともきちじょうじ? 返信する どちらか知らない (ひめの) 2014-02-07 12:58:47 ごめんなさい今度来るとき、しらべておきます火渡り行事があってました、TVニュースでは佐賀のお寺では、と簡単な紹介でした 返信する きっしょうじでした。 (ひめの) 2014-02-08 12:50:27 調べる間もなく、叔母たちのご縁で送るはめになり、私もお参りしてきました。あそこは基山だそうですアウトレットを越してすぐ、左側に入って上ります本堂の地下に真っ暗な浄土道があり、そこを進んでいくのは、なかなかでした 返信する 真言宗のとうみつ。 (姫野) 2014-02-08 22:37:39 台密に対しての東密というそうで、基山の吉祥寺は大きな分類では古義真言宗の善通寺派にぞくする古い寺でした。おかげさんでにわか勉強をしました。ここに詳しいです。はりつけます。昔、母の代理で郵便保険の旅行にいかせてもらいました。石橋秀野を調べていた頃、京都に。何かのトラブルでコースが変更になり、おかげで一人別行動ですぐ近くだった御室の仁和寺、宇多野とまわることができました。ひでのさんがなくなった場所、うたのりょうようしょに行ってみたかった願いが叶いました。で。先日、仁和寺の特集を、たまたテレビで見ました。あそこは真言宗御室派の総本山なんですねえ。秀野さんがらみで訪ねたとき、空海の真筆がある暗さかな。という句を得ました。ほんもののお弘法さんの書があった。実在の人とはしらなかった。ものすごく広くて、なんともいえず格式があって、ちかよりがたい寺でした。代々皇室の血をひく方が法灯を守ってある。さくらさん。きょうは東京、大雪でしたようで、大丈夫でしたか。平成六年以来の大雪だったとテレビは言いました。ふしぎなことがあります。このさくらさんの写真をみて、わたしは久留米御井町の永福寺を連想しました。毎日二年間その前を通って通勤していたのです。久留米弁でよむ歎異抄などのサイトをはっているお寺さんで、調べますと真宗大谷派でした。ところが、永福寺という名前のお寺は杉並区にもあるのです。杉並区のは曹洞宗となっていました。でも、かんじんのその寺をさがすことはできません。もしかして、このお寺さんではないんだろうか。とふとおもいつきました。(そりゃそうと、ここ、大円寺とでていましたよ。) 返信する 宮島の大聖院も。 (ひめの) 2014-03-09 23:53:32 宮島の(広島の安芸の宮島)大聖院、ここも調べたら、仁和寺を総本山とする、真言宗御室派のお寺でした!ずらずらっとつながってる。ふしぎです。 返信する 大円寺 (かささぎの旗) 2014-03-28 12:56:04 今朝うたまるさんのコメントに、星野大円寺とありましたぜ 返信する 星野氏の大円寺と同名なこと (かささぎの旗) 2014-04-05 21:01:40 ずっと片心にひっかかりながらも、やっと今調べました。音が通じます八女星野の大円寺について。三月二十七日でしたか、調さんが移動中の新幹線の中から、きょうは懐良親王の命日なので星野で慰霊祭があるのに行きたいのですが・・・とメールをくださいました。まったく申し訳ないことに、わたしは通じていなくて、いまごろ調べてなるほどと腑に落ちた次第です。ははは。ごめんごめんめんぼくない。創建は星野のほうがここよりずっと古いのですが、薩摩島津氏の江戸での菩提所となった、とありますので、深層でつながっているように感じました。おもしろい展開でした。勝手にひとりでコメントつけて、れんく的にたのしんでしまいました。で、。星野椿先生のおうちも、もしかしたら星野一族かもしれないですね。最初は冗談のつもりだったのですが、各地に散らばった話をみてたら、だんだんありうるとおもえて。あるいは、三十三間堂通し矢で凄腕の名人だった星野氏もまた、です。 返信する 島津家と近衛家 (かささぎの旗) 2014-07-13 13:29:28 先月末、近衛家の国宝展に行く縁がありました。ん、このえけ?そういや、さくらさんブログで旧近衛邸をみたっけ。と思いつつ出かけました。いろいろたくさん宝物をみせてもらったのですが、あっと思ったことがあって、それはまっすぐここにつながる。近衛これただ、という人は身分の高い人でありつつ、いなかで育った変わり者の貴族で、豊臣秀吉の朝鮮出兵でも志願して前線基地へいってしまうような人だった。で、たしか秀吉の人事にけちをつけたかなんかで左遷される。それも薩摩の島津荘の坊津へ。はじめは恨んでばかりでいじけていたが、だんだん本領発揮で、すぐれた文芸作品(書、うた、日記など)を残した。・・・というのを短くまとめた動画を見、雄渾な屏風の実物もみたのですが、そのとき、島津の家紋は○のなかに十だが、ほかに、近衛家とおなじ家紋を裏家紋として使っていたということを知る。これは荘園制度が盛んだった時代、管理者として近衛家が島津荘に君臨していたからで、両家は長い付き合いがあるのだという。ネットで調べると、祖先が同じと出ます。大友宗麟をやめ戦国百首和歌にてしらべていたころ。祖先は大友能直、この人にはみなもとよりともの庶子説がつきまといます。それを最初に読んだのは、外山幹雄氏の大友宗麟という本でした。で。いまはたときづく。なにかに似ている。そうか。すけよしの黒木物語とどこか同じ匂いがします。字まで似ている。すけよしは助能とかき、よしなおは能直。母はかたや待宵の小侍従、かたや丹後局。そして面白いことに、どちらも高野山に関連している。島津家の墓は高野山にあるそうな。どうしてだろうか。ううむ、おもしろいが、キリがない。ひまもないのに、こまったことだ。でもおもしろいなあ、歴史って。あといくつか気づいたことがあるのですが、やめとこう。すみませぬ、長々と独り言をはかせてもらって。参照としてくっつけたブログ記事、読みづらくてすみません。田村省三著。時間がなければ開けぬかとおもいますが、この中に、なんと大山巌と君が代のくだりがでてきます。これ、かささぎの旗がブログを始めた頃、まっさきに飛びついた研究テーマでありましたので黙って見過ごすわけにはいきませんでした。そこで書かせてもらうと、じっさいは、大山巌だけではなく、旧幕臣の乙骨太郎乙が江戸大奥の元旦の儀礼うたから取り、それをきいて、それならわしの国の琵琶歌にも同じ歌詞があるといって賛同したのが大山巌だったというのが正解のようです。(司馬遼太郎もかいています)※同志社大学のブログを参照につけようとして失敗したので、八女星野のブログをつけました。 返信する 誤字訂正 (姫野) 2014-07-13 13:38:10 大友宗麟著者名は、外山幹夫が正しいです。字を一字訂正願います。いま調べますと去年なくなっていました。長崎の先生だったのですね。ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。 返信する Unknown (カメラぐらし) 2014-10-01 22:50:12 特攻隊員の慰霊碑が高野山にあるのと関係があるような?・・・・。 返信する 大園児 (かささぎの旗) 2015-03-06 06:50:21 おはようございます。コメント編集してたら、だいえんじを思い出しました。はりつけたところにつながっていきます。よまれてくだされ。ちなみに、きのうわたしがかいたコメントにでてくる、たいほうまんじゅうは、ほんとうは「かぶと饅頭」でした。笑そうだ。さくらさんもいらっしゃいませんか。星野に月末の28日いくようなふうにだんだんなってきました。 返信する 星野、日光、そしてここ (かささぎの旗) 2015-09-19 17:21:39 日光の源流さんのブログ記事、よんでもよんでも、あまりわかりません。こまってしまって、おてあげです。でも、ものをかんがえないでよみながすと、どういうわけか、この、さくらさんのお寺をなぜか思い出してしまったので、また、きてしまいました。源流さんのブログをはりつけておきます。だれか歴史に詳しい方、なにかヒントをください! 返信する ばくぜんと、「鉱山」 (かささぎの旗) 2015-10-26 07:45:37 きのう、ふとおもいついて、高塚の叔母を誘って母と三人で熊本の相良(あいら)観音へおまいりしました。なぜかお宮参り(赤ん坊をつれたお礼参りの団体さん)ばかりめにつきました。多かった。(七五三前哨戦か。)八女に帰りまだ三時前だったので、活動的な叔母が久留米の妙泉寺に「姉しゃんのほとけさんにおまいりにいこう」、といいだし、もうひとりの久留米の叔母と従姉ものせて、五人でみょうせんじへいく。三本松公園のちかく、いけまちがわほとり。本堂の建て替え工事中でありましたが、霊堂へおまいりできました。えーと。なんのはなしだったっけ。笑。鉱山つながりだろうと漠然とおもいだしました。そねふみこさんの「親なるもの 断崖」(まんが)をかったのですが、よめずにいます。こわくてよめない。北海道にも新日鉄、あったのですね。ばらばらのはなしで、すみません。まいど、ですかね。 返信する かささぎの旗さんや・・・ (さくら) 2015-11-12 14:52:17 あの書きたいことが出てきたが、これからどうしてもやらなきゃならないことがある。まずはこれで。 返信する 特攻のいきのこりの人と特攻に行くはずだった人 (かささぎのはた) 2015-11-15 21:20:20 こないだ、さくらさんの書き込みにばったり出会いました。(なまえにはりつけ)あの絵葉書作者は、もっと戦が長引けば自分も特攻にでるはずだった、とかいておられました。へやにあるほんのなかに、北川透全対話がありまして、それは小説家で川柳や俳句もかいていた、岐阜の斧田千晴がなくなるまえにゆずってくれたものでしたが、なかに、松岡俊吉という批評家との対話が収録されていた。この松岡氏(故人)のことばがするどい。「それは特攻体験というとなにか特殊なように人は言われるけれども、死ななかったら特攻じゃないんです、はっきりいって。」つまり、しななかった自分はその代弁はけっしてできない、といわれている。このひとは慶應の予科から行った大学を繰り上げ卒業して、呉の海兵団に入り、すぐ翌日から旅順で基礎訓練、その後横須賀で水雷術を学び、九州の川棚にできたばかりだった魚雷艇学校の第一期生になった、とありました。そんなはなしははじめてきいたとおもい、しらべると、かわたなにたしかに跡地がのこっています。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
だけど、いいたいことはわかります。
陽光燦々 白雲悠々。
いいなあ。。。まだ暑いけど。
自転車、ママチャリですか。
帽子とびませんか。
自転車は風を作りながらだから、暑くても涼しい?
さくらさん、十月に連句会しますから来てね。
まだいつするか決まってないですが、こんど久留米原人神津ろいりさんの帰郷祝い&就職祝いをやりますので、そのときにみんなで話し合います。連休のとき、十月十二日からの、そこでできればなあ。
あ。十月十二日。おしん上映が始る日。
この映画も見せにいかなならん。
でも、十二月の、永遠の0。これが一番みたいです。
こんどの連休で、母たちと、少年Hを見ました。
とてもいい映画でした。
(おしんも永遠の0も、ここで予告編を見たのです。)
東京福岡。格安航空券なら往復かなり安いんですって。
びっくりですよ。片道の早割くらいの値段。
私は作者の主張で選びますから、Hはどうもだめです。
公的機関の壁にべたべた貼ってあるHの映画ポスター。
永遠の0は絶対こうはいかないはず。これいかに?
網目の帽子をかぶると絶対風で飛びません。
網目から風が通るからのようです。
具体的にはどんなのかいつか見せてくだされ。
そうそう、パンパスグラスという名前でした。小郡近くの駅にあったばかでかいススキ。
さくらさん、学園祭でやりますよ。十一月二十四日日曜日。けん、こうとってください。
Hはクリスチャンの映画でしたね。
永遠のぜろ、さくらさんがみれるかなと危惧してる。泣いてから。
いずれにしろ、タイトルが覚えきれないようです。
ときがたって、少年Hで印象に残っている場面。
おんな兄ちゃんと呼んでいた、おかまのきれいなお兄ちゃんに赤札がきて、それに耐えられず、自殺した場面。
洋服の仕立て屋という職業柄、外国人の客が多かった家に育ったため、父親にスパイの疑いがかけられ、特高に連れて行かれて拷問をうけた、その場面。
ユダヤ人が船で逃れてきて、着の身着のままのその服を修理するのに、とても臭いといってた場面。
どれも、生理的な、感覚的な場面です。真に迫る。
今度来るとき、しらべておきます
火渡り行事があってました、TVニュースでは佐賀のお寺では、と簡単な紹介でした
あそこは基山だそうです
アウトレットを越してすぐ、左側に入って上ります
本堂の地下に真っ暗な浄土道があり、そこを進んでいくのは、なかなかでした
おかげさんでにわか勉強をしました。
ここに詳しいです。はりつけます。
昔、母の代理で郵便保険の旅行にいかせてもらいました。石橋秀野を調べていた頃、京都に。
何かのトラブルでコースが変更になり、おかげで一人別行動ですぐ近くだった御室の仁和寺、宇多野とまわることができました。ひでのさんがなくなった場所、うたのりょうようしょに行ってみたかった願いが叶いました。
で。
先日、仁和寺の特集を、たまたテレビで見ました。
あそこは真言宗御室派の総本山なんですねえ。
秀野さんがらみで訪ねたとき、空海の真筆がある暗さかな。という句を得ました。ほんもののお弘法さんの書があった。実在の人とはしらなかった。
ものすごく広くて、なんともいえず格式があって、ちかよりがたい寺でした。
代々皇室の血をひく方が法灯を守ってある。
さくらさん。きょうは東京、大雪でしたようで、大丈夫でしたか。平成六年以来の大雪だったとテレビは言いました。
ふしぎなことがあります。
このさくらさんの写真をみて、わたしは久留米御井町の永福寺を連想しました。毎日二年間その前を通って通勤していたのです。
久留米弁でよむ歎異抄などのサイトをはっているお寺さんで、調べますと真宗大谷派でした。
ところが、永福寺という名前のお寺は杉並区にもあるのです。杉並区のは曹洞宗となっていました。
でも、かんじんのその寺をさがすことはできません。
もしかして、このお寺さんではないんだろうか。とふとおもいつきました。
(そりゃそうと、ここ、大円寺とでていましたよ。)
ずらずらっとつながってる。ふしぎです。