永福町大園寺 2015年03月30日 09時54分17秒 | その他地域 3月28日午後5時撮影一人だけの花見もいいものです。右手のほうにあるお墓には、西郷とつく墓や戊辰戦争戦死者の墓…などもあり、ここは薩摩藩菩提寺だそうです。ほんの最近知りました。 #写真 « 永福町泉谷山大園寺 | トップ | 与謝野鉄幹・晶子住居跡 »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 大円寺、大圓寺、だいえんじ。 (かささぎの旗) 2015-04-07 15:14:24 さくらさん、落ち着いた雰囲気のお寺ですねせっせとコメント書き込んでましたが、まさか、こんな偶然の一致が待っていたとは、おしゃかさまでもびっくらこくだよ。星野でも、東妙寺にぶつかるしさ。懐良親王、佐賀吉野ヶ里のお寺なんぞになしてお経ばあげらしゃったとじゃろう。あ、そっか、おっかさん愛だったか。そっち調べてたら、大保が原の戦い、てのもみつけました。あの、大保? 返信する かささぎの旗さん (さくら) 2015-04-08 16:22:33 大保?小郡の近くのでしょ。あの辺よく遠足に行った古戦場跡みたいなのありましたよ。 返信する 日本三大合戦の一つ (ひめの) 2015-04-12 08:42:29 さくらさん。おおほばるのたたかいは、別名ちっごがわのたたかいといって、日本三大合戦の一つだそうです。あとの二つは、関ケ原と大坂夏の陣。てきみかたあわせて十万の南北朝時代の戦い。名前にリンク記事はったの、ひらいてみてください。おや。雑学の所に西郷隆盛が菊池と縁がつながっていることがかかれていました。むむむ!よさのあきこ、ぜひやってください。笑すごいなあ。ずらずらっとつながってきた! 返信する コメントまとめました。 (かささぎの旗) 2015-04-12 09:25:49 さくらさんのコメントがぴかっと光ります。 返信する こういうこともあるらしい。 (かささぎの旗) 2015-05-02 12:00:12 たまにのぞくブログにでていた。このなかの、日本の居る皆ティについて。中丸薫さんの書籍の引用部分。 返信する 恩と書いてめぐみ (ひめの) 2015-05-02 14:52:50 ことしお寺から配布された仏書にも、クイズとして出題されていたっけが。まさかここへつながっていくとは、なんという連句的! 返信する 足尾郷にも星野氏はだいえんじを (姫野) 2015-06-10 07:39:28 さくらさん、足尾銀山のある地にも大圓寺があったみたいです。コメントをいただいた本州在住(とおもいます)のかたから、おしえてもらいました。こつこつと地道に星野一族をしらべておられるようです。歴史は勝者がつくるけれど、だからといって敗者の歴史がなくなってしまうものではありません。いつかきっとちゃんとみつけだして、あきらかにしてくれるひとがあらわれる。なんか、すごいことだなあ。。。げんりゅうさんのとこに、さくらさんがいかれて、パソコンに原稿と、写真資料をアップする方法をご指導なさったらいいのになあ。と、そんな余計なことまでおもった朝でした。(記事をみると、あるらしい、しゃしんがみたい!) 返信する 足尾の大圓寺 (ひめのかささぎ) 2015-08-14 12:43:29 やっと「足尾銅山発見の謎」をよみおえました。とってもおもしろい本でした。足尾銅山のはじまりに星野氏がいたこと。とおく八女の星野村の大円寺ともつながっているようにおもいます。むかしむかし、やましとよばれたおとこたちは、どんなやまにもずんずんはいっていったにちがいない。まったくわからない世界だから、ロマンがあります。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
落ち着いた雰囲気のお寺ですね
せっせとコメント書き込んでましたが、まさか、こんな偶然の一致が待っていたとは、おしゃかさまでもびっくらこくだよ。
星野でも、東妙寺にぶつかるしさ。
懐良親王、佐賀吉野ヶ里のお寺なんぞになしてお経ばあげらしゃったとじゃろう。あ、そっか、おっかさん愛だったか。
そっち調べてたら、大保が原の戦い、てのもみつけました。あの、大保?
あの辺よく遠足に行った古戦場跡みたいなのありましたよ。
おおほばるのたたかいは、別名ちっごがわのたたかいといって、日本三大合戦の一つだそうです。あとの二つは、関ケ原と大坂夏の陣。
てきみかたあわせて十万の南北朝時代の戦い。
名前にリンク記事はったの、ひらいてみてください。
おや。
雑学の所に西郷隆盛が菊池と縁がつながっていることがかかれていました。むむむ!
よさのあきこ、ぜひやってください。笑
すごいなあ。ずらずらっとつながってきた!
このなかの、日本の居る皆ティについて。中丸薫さんの書籍の引用部分。
まさかここへつながっていくとは、なんという連句的!
足尾銀山のある地にも大圓寺があったみたいです。
コメントをいただいた本州在住(とおもいます)のかたから、おしえてもらいました。
こつこつと地道に星野一族をしらべておられるようです。
歴史は勝者がつくるけれど、だからといって敗者の歴史がなくなってしまうものではありません。いつかきっとちゃんとみつけだして、あきらかにしてくれるひとがあらわれる。
なんか、すごいことだなあ。。。
げんりゅうさんのとこに、さくらさんがいかれて、パソコンに原稿と、写真資料をアップする方法をご指導なさったらいいのになあ。
と、そんな余計なことまでおもった朝でした。(記事をみると、あるらしい、しゃしんがみたい!)
とってもおもしろい本でした。
足尾銅山のはじまりに星野氏がいたこと。
とおく八女の星野村の大円寺ともつながっているようにおもいます。
むかしむかし、やましとよばれたおとこたちは、どんなやまにもずんずんはいっていったにちがいない。
まったくわからない世界だから、ロマンがあります。