昭和29年頃の映画「二十四の瞳」を知っていますか?
高峰秀子さん演じる小豆島の分校大石先生と12人の生徒の
愛の物語・・・・・と言う触れ込みになっていますが、これは実は
戦争と貧困の悲しい物語です。
私はこの映画のシーンを思い浮かべるだけで泣けてしまうんです。
昭和のはじめごろ、貧しくて弁当を持ってこられない女の子に
先生がアルミの弁当箱をプレゼントするのですが、弁当箱の
蓋に山百合の絵が描いてある・・・と女の子はとても喜びます。
みんなで隣の島にささやかな修学旅行に行く事になるのですが、
貧しくて参加する事ができないどころか、みんなが行く旅行先の
みやげもの屋に住み込みで働きに出された女の子がいるのです。
みんなが旅行を楽しんでいる姿をみやげもの屋の奥からそーっと
見つめています。
声をかけないまま、みんなは船に乗って帰って行きます。
女の子は遠ざかる船を涙で見送ります。このシーンで
「浜辺の歌」が流れます。今でも「浜辺の歌」が聞こえてくると
「二十四の瞳」のこのシーンと結びつき泣けてくるのです。
戦争がはじまり、教え子の男の子達はみんな戦争に行って
しまいます。
戦後になって成人した教え子たちが同窓会を開き、大石先生
を招きます。
12人いた教え子達のうち、男の子は誰も出席しません。
みんな戦死してしまったのです。
たった一人帰ってきた男の子(田村高広さん)は戦地で負傷し、
目が見えなくなっていました。
田村さんのその姿が不憫でたまらなく悲しそうに見つめる大石
先生の目、最後のそのシーンが一番悲しく脳裏に焼きついて
います。
何作か映画化されていますが、私は高嶺秀子さんのこの白黒映画が
一番好きなので、その後のものは全然見ていません。
今夜(火)日本テレビで、黒木 瞳さん主演で放送されるようですが
見たいような見たくないような・・・・
この写真は、またまた物持ちのいい叔母の持ち物を登場
させました。戦時中に作った防空頭巾です。
黒のしゅす(光沢のある黒い布)で作られており、肩にあたる
ところはたっぷりフレアーがとってあり、とってもおしゃれなんです。
空襲をくぐり抜けながらもお洒落心をちゃんと持ち、その時代
なりに青春を謳歌してたと言う証明です。
飯ごうに水筒は、おじが戦地(この前津波のあったインド洋
アンダマン島)から持ち帰ったもの。
物持ちの良さは似たもの夫婦です。
「千鳥が淵幻想」もよろしく
神代植物公園の「ダリア」を追加しました。
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私ごとで恐縮ですが、亡き父は学徒出陣で大変な苦労をいたしました。そのようなこともあり、
戦後生まれの私にとっても戦争は他人事ではありません。
先生の『二十四の瞳』の解説は「戦争の悲惨さ」を忘れてはいけない・・と私に語りかけてくださいました。ほんとうにその通りです。
ありがとうございました。
高峰秀子さん、この方の生き方も、潔くて、さっぱりしてらっしゃるように、エッセイを読んで感じました。今日のドラマ、田村高広さんの役、どなたがなさるのか、興味あります。戦争はいやです。でも、今も、たくさんの人がなくなっていますよね。一日も早く、世界中が平和になるよう、祈りたいです。
今晩は、東御苑にいてきたよと報告するためにさくらさんを訪れましたが、「二十四の瞳」の話題でしょう。なんだかピントが外れてしまうようでまたの機会に報告しますね。
今の平和と豊かな生活は当時の人たちのお陰です。
昭和20・30年代に作られた映画は原作に忠実で丁寧で実に素晴らしいです。
いつかこの映画に触れたいと思っていたら、急に昨日書く気が起きたのです。
キルティングがされています。
防空頭巾というと絣の着物を壊して作ったような柄で、埃まみれになったようなものしか見た事なかったのに、ファッション的要素を取り入れてるところがものすごくびっくりしました。
今でも寒い時かぶれるかも知れないね・・・と笑ったものでした。
あの白黒映画は4時間くらいの長編で丁寧に描かれていますが、2時間のテレビでは上っ面だけで、涙も出ませんでした。
東御苑にいかれたんですか?
今頃何があったんでしょう。私もあれからもう一度行きたい所のひとつだったので、UP楽しみにしています。