いま、猫を一匹飼っています。もう8年くらいになります。
以前、勤務していた職場で捨て猫があり、それが首輪が締まった状態で捨て猫になっていた子猫だったために、死にそうになっていました。動物病院に連れて行き一命を取り留めたものですから、それを家に連れて帰り育てようとしました。ところが二か月後に家を飛び出してしまい、その猫のことはあきらめていました。そうこういているうちに、一年後に我が家の軒先でその猫が舞い戻り、子猫を4匹生んだのです。
そしてそのうちの一匹の生まれたての子猫を取り上げ、育てたのがこのトラです。
本人は生まれたばかりのころに親から離されたためにどうも自分が猫だと思っていない節があります。完全に家のなかだけで飼っているため、他の猫との接触もまったくありません。
ときどき、窓の外にほかの猫が見えても威嚇するだけで、まったくなじむような気配はありません。
人間には非常に慣れていて、家族の一員というような顔をしています。
以前、勤務していた職場で捨て猫があり、それが首輪が締まった状態で捨て猫になっていた子猫だったために、死にそうになっていました。動物病院に連れて行き一命を取り留めたものですから、それを家に連れて帰り育てようとしました。ところが二か月後に家を飛び出してしまい、その猫のことはあきらめていました。そうこういているうちに、一年後に我が家の軒先でその猫が舞い戻り、子猫を4匹生んだのです。
そしてそのうちの一匹の生まれたての子猫を取り上げ、育てたのがこのトラです。
本人は生まれたばかりのころに親から離されたためにどうも自分が猫だと思っていない節があります。完全に家のなかだけで飼っているため、他の猫との接触もまったくありません。
ときどき、窓の外にほかの猫が見えても威嚇するだけで、まったくなじむような気配はありません。
人間には非常に慣れていて、家族の一員というような顔をしています。
隣近所との連携ですかね。
物理的な安全性を高めるのには限界があり、いくら厳重にしても破る方法はいくらでもありますから。
近所の人でリタイアして自治会の役員している人が何くれとなく面倒みてくれるのはありがたいけれど、ひどく鬱陶しく感じることがあります。でも考えてみればいつも巡回してくれていると思えばいいのであって、そういうことが抑止力になって安全性が高まっているのかもしれません。
「ご近所の底力」ということでしょうか。
物理的な安全性を高めるのには限界があり、いくら厳重にしても破る方法はいくらでもありますから。
近所の人でリタイアして自治会の役員している人が何くれとなく面倒みてくれるのはありがたいけれど、ひどく鬱陶しく感じることがあります。でも考えてみればいつも巡回してくれていると思えばいいのであって、そういうことが抑止力になって安全性が高まっているのかもしれません。
「ご近所の底力」ということでしょうか。