リバーサイド公園前の小野川沿いの道が
ほとんど車が通らないようなので
ここを歩いて周辺を散策してみることにしたのね
このあたりは釣りのスポットになっているよう
リバーサイド公園は、
田舎ではありますがとてもよく整備されていて
芝生広場も広いし
ほんとはその芝生広場でワンズを走らせたり
ポッチにゴロリンをさせてあげたいところなんだけど
この素敵な芝生広場には
例のブツがたくさんなのね
てなわけで
小野川前の道を北に向かって歩いて行くと
↓ 釣り場の一角ですが、
赤い転覆したボートが
帰宅してからこのポイントを調べてみたら
この転覆ボートはもう何年も前から
転覆したまんまここにあるらしい。
なんか意味があるのかナ~?
知らんけど…
それから陸側のほうに進路を変えて歩いていくと
↓ 「管天寺」というお寺さんがあったので
立ち寄ってみることに。
↓ こうして見ると目立たない、地味なたたずまいで
荘厳な外観ではぜんぜんないが
昔は茨城や千葉にいくつも末寺があった、格式の高いお寺だそうな
一般のお寺さんとは違うんだね。
そもそもこのお寺は、江戸崎城主土岐家の菩提所として創建されたので
江戸崎城内にあったが、江戸崎城が落城した時
管天寺も城と一緒に焼け落ちて
↓ ここに移転したというわけですね。たぶん…
↓ 管天寺についてザックリ読んでいると、
管天寺のあった江戸崎城落城についての記述に目が止まった!
天正18年(1950年)の豊臣秀吉の小田原攻め。
この時に北条方についた江戸崎城は豊臣軍に滅ぼされたのね~
これって、りさちんちがよく行く千葉の印旛沼公園の師戸城とまるでおんなじだわ( ̄▽ ̄;)
江戸崎城も師戸城も同じころに豊臣軍に滅ぼされたのね~
だいたいこっちのほうでは豊臣には服従せず
千葉氏をはじめ、ほとんど北条派だったようだが
去年千葉県館山の館山城(里見城)に行ったとき、
「里見氏」は豊臣派だったという記述を読んだような。
里見氏は豊臣軍として江戸崎城や師戸城、臼井城などの攻撃に加わったんだろうね。
豊臣の小田原攻め勝利でその後も里見氏は安泰だったわけだ。
でもまたそのあとの関ヶ原の戦いでは
豊臣ではなく徳川について(まぁ立地的にそりゃそうなるよね^^;)
そしてまた勝利で安泰なんだね。
里見氏はいつも勝者になる、いいコースをたどったわねぇ
↓ 六人力地蔵尊がこのなかにいるらしい。
のぞいてみると
いた~
↓ こちらは江戸時代になってからの遺物
重たい石を持って力比べが娯楽~
平和よね~
さすが天下泰平の江戸時代かな
↓ 散策中に見た、きれいなツツジ
↓ 車の置いてあるリバーサイド公園に戻って~
人も増えてきていて
何組かの家族連れさんが遊具広場で遊んでいたよ
芝生広場のブツの多さが
なんとか改善されるといいな~と願いつつ
帰宅~